人生の問題は、真実を見てないことが原因で起きてます。 真理と真実を知る知能を得て、どうか、人間を愛してください。 命を愛し、生きる神秘を愛してください。

頭痛を与えるかもしれないので、 信仰心のない人は読んではいけません。



エセ人権擁護派の弁護士

なんでエセをつけてんだよ、批判してんだよ?
それは「死刑廃止活動」そのものが真実と矛盾するからだ。

日本の現状では、
死刑廃止はつじつまが合わない思想なのだ。


仮に現行の法律で「死刑廃止」だけしてしまったら、
どんな重犯罪でも、刑務所から出てくることが可能になる。

どんな国よりも刑が軽くなってしまう。

死刑廃止の動きは欧米が中心なのだが、
欧米の環境では実現可能なのだ。

犯した罪により「懲役300年」等と罰を与えることもできるからな。

欧米での「死刑廃止論争」は
「死まで人間が裁いて良いのかどうか、それと死ぬまで刑務所等に閉じ込めるというつらい生活をさせることは死刑より効果的ではないか?」というのが論点であったと覚えてる。


だからもし日本で「死刑廃止」をやりたいなら、
まず「刑法の充実」が順序としては先なのだ。
ただでさえ、今も犯罪急増中の日本なのだ。
反対側から、犯罪者からいえば「犯罪天国日本」なのだ。


それなのにこの事実を無視して、または軽視していて、
「死刑廃止」だけを唱えるこの行為は、
「なぜ?はぁ?ばかあ?」
と殺意芽生えるくらい危険なことなのだ。
まぢであぶねーよ。


わざとやってるから、反社会的活動なのか?と思われて、

ちょっと調べたら、反日活動団体だった。
つまり、法の崩壊を狙ってわざとやってるわけですわ。
だって、犯罪助長に繋がりますから。

まぢで、殺したいくらい悪意がみえる反社会的活動ですわ。


いかにも表面上は「死刑廃止」という尊い思想を掲げながら、
それによって起こる問題をまったく無視してる。
問題提議しないのだ。
問題を起こそうとして「死刑廃止」という今の日本じゃ矛盾しちゃう善い言葉を見つけたもんだ。


本当のところは、こいつらを動かしてるのは、
自分たちの業界のため、自分たちの利権のため、利権争いをしたい願望なのでしょうな。


こいつらの真実は
庶民が盲目的であると思って、
人権擁護派と掲げて、気持ち悪い矛盾を抱えて、
犯罪に対する刑罰を軽くして国民をさらに不満にさせる反日活動をしてるということだ。


ちなみにこれ書いてる人は
「死刑廃止賛成派でありますが、もちろん今の刑法には適用不可だと考えてます。」
人間が人間を殺すほど裁いて良いか悪いか、疑問を持ち続けてるから。しかしいっさいの影響を考えずに死刑廃止だけ掲げることは危険すぎます。


また、現実的な問題として、
「今の日本国には死刑が必要」
「死刑がないと犯罪助長に繋がるわが国の現状。」
と判断できるはずだ。


近年の犯罪増加と、被害者の人権無視がこれだけ騒がれたんだ。
大勢の国民がそう感じてるはずだ。
死刑廃止を掲げる人から犯罪者の匂いがするというのが正しい見識だだだだだだ。


だからなんなんだ?
どこから需要があって、人権擁護派を謳うんだ?あ?
少なくとも日本国民から需要があるわけじゃあない。


まさか、国家試験通った弁護士になるほどの方が、
考え付かないなんてことないでしょう。
間違いなく理解してやっている。


もっと思考の発達した未来なら、
このようなエセ人権派行為自体が犯罪として、
おまえら社会悪だ、脳みそ洗ってこいと、
矛盾した考え方での社会活動は秩序破壊行為として刑務所に入れられますよ。


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あ と が き(小さな誇り)

 私達は元より歴史家ではない。中小企業の経営者である。執筆した内容にはできる限り正確を期したつもりであるが、調べれば調べるほど史実は深淵であり、一部には誤りがあるかもしれない。執筆を終えて、自分は一体何をしているのだろうと思う。浅学非才を顧みず、膨大な資料にあたったこの数ヶ月間は、仕事そっちのけの日々であった。家内や子供には、その分迷惑がかかることと思う。しかし、執筆を終えて、今、自分が妻と一緒に暮らし子供を抱いてやれることの幸福を心底思う。

 筆者の祖父は、陸軍砲兵隊の少尉として昭和12年11月、上海郊外で戦死している。聞くところによれば、祖父は、双眼鏡で敵陣を観察中に、物陰に隠れていた中国の狙撃兵に心臓を撃たれ一言も発する事ができずに落命したそうである。祖父は高級将校ではなかったし、子供以外にこれと言って名誉も財産も残さなかった無名の軍人である。今の世の中からは全く忘れ去られた遠い過去の人であろう。

 戦争の事についてほとんど語ることのなかった祖母が、以前、私に語った事が一つあった。昔だって、しょうゆを飲んでわざと体を壊して戦争から逃げた人だっていた。けれど「おじいさんは、お国の為に『志願して』人のいやがる戦地に行った」という事だった。
 「お国の為に自らの意志で」、その一言だけが、あとに残された祖母にとっては「小さな誇り」であり支えだったのだと思う。

 祖父とは言っても、享年30歳であった。私はすでに、祖父の年齢をはるかに超えてしまった。私は祖父に呼びかけたい。あなたがいてくださったおかげで、今、あなたのひ孫は、私の腕の中で安らかに眠っております。どうかこれからも、この子をお守り下さい。

 私を突き動かして止まないもの、それは我々の祖先に対する、言葉で言い表せない、熱い思いである。戦闘中に倒れた人、密林で食べ物も無く病死した人、冷たい海に沈んだ人、終戦後シベリアに抑留され過酷な条件下で病死した人、戦犯として処刑された人、みんな敬愛してやまない我々日本人の祖先である。私達は、死んで行った大勢の祖先たちの、その無念を知るが故に、その無念を知っている者が「少なくともここに一人いる」と言うことを、死んでいった人達に呼びかけたかったのである。

 この文章を書いたことには、さまざまな異論もあるであろう。私は先祖達の目から見たら崩壊しつつある祖国日本に問題提起するためあえて一石を投じたのである。

 そして我々の文章に触れたJCマンの一人でも二人でも私達の思いを感じる人が出てくれれば、もはや何も言うことは無い。その方々に心の底から「有難う」と申し上げたい。亡くなられた方々の名誉を回復することは、もはやできないかもしれないが、それでも私は申し上げたい。「皆さん、本当にご苦労様でした」、どうかこの思いが天上の皆様に届きますように。「小さな誇り」は、私達の中で今も確実に生き続けております。祖先の血汐が私の身体を流れるように。




一から拾い整理していくには膨大な時間を要する。

 私のサイトは比較的メッセージ性の高いページと思っていますので、相互リンクのお願いはほとんど致しておりません。奇特にもリンクをして頂ける方はご一報下さい。リンクフリーとしていますが、マナーとして連絡し合うことがよろしいかと思います。
 また、引用・転載は自由ですが、出典を明らかにしていただき。特定の個人団体等を陥れるために一部の表現だけを切り取ってお使いになることはお避け下さい。



このブログは、
少しでも正しい整理思考を広めようと、
影響を与えるべく何かをしようとしたのがきっかけで書き始めたのでした。
一人でも多くの人の目を覚まし、
太平洋戦争にあった善悪感を払拭して自分たちの国とその未来を思うことを願う。



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2)日本を取り巻く危機

 あるアメリカ人は、村山総理がアジア諸国を謝罪して歩いている事を聞いて、「なんで日本が50年も前のことを、いまさら謝っているのか理解できない」と言った。(同様の言は、謝罪されたアジアの首脳からも出ている。)そもそも村山(社会党)内閣ができたのは、平成5年、一部の自民党議員が党を割って新進党を結成し、その為自民党が下野したからである。返り咲きを狙った自民党は、社会党と手を組むという離れ業をやった。社会党は、与党になったとたん自衛隊、安保を容認せざるを得なくなり、革新政党としての性格を埋没しかかった。その為、何とか社会党の独自色を出したくて、おりしも戦後50年にあたり、「謝罪と補償をする」かのように受け取れる愚かな政策を打ち出した。自民党は、社会党に政権離脱されては困るのでこの要求を飲まざるを得なかった。

 これが、戦後はすでに終わったと思っていた人達にまで、金銭的欲望の火をつけてしまった。現在では、アジア諸国だけではなく欧米諸国からも戦後補償を要求される事態に至っている。特に平成11年(1999年)7月、アメリカ、カリフォルニア州議会で、「第二次大戦中の強制労働について2010年まで損害賠償の請求ができる」と定める法案が成立した。これに基づいて、現在、日本企業をターゲットにした損害賠償訴訟が次々と準備されている。戦後50年以上たって、どうしていまさらこのような法案がカリフォルニア州議会で成立したかと言うと、法案成立の背景には、国際的な中国人の組織が、南京虐殺に基づく日本の非道を根拠に世界各国に働きかけているからだと言う。欧米諸国からの、「戦時中の捕虜に対する強制労働」に基づく日本企業への損害賠償請求額は、100兆円を超えると言う試算もある。このままでは、日本経済はますます衰退するであろう。少なくとも更なる不況とリストラの為、新たな犠牲者が多数出る日は遠くないかもしれない。

 「何を馬鹿な」と思われるかもしれないが、アメリカを甘く見るのは間違いである。マクドナルドのコーヒーが、ドライブスルーでこぼれただけで、賠償金1億円の判決が下る国である。物事は、自分を基準に考えていると大変な墓穴を掘る。しかも原告の裏には、以前同様の補償を起こすことで多数のドイツ系企業から多額の「和解金」をせしめた訴訟のプロがついている。アメリカは日本の想像を絶する訴訟社会であり、訴訟で金儲けを考える者が多数いるから厄介なのだ。

 しかし、これは「訴えていただければ、なんらかの補償を検討します」のようなことを言った日本政府が自ら掘った墓穴である。謝れば謝るほど、無制限に要求が突きつけられ、もはや日本は片足を底無し沼に踏み入れたと言ってよい。逆に日本は、戦時中外国から受けた日本兵捕虜に対する虐待や、民間人の大量虐殺に対し、欧米諸国に何ら謝罪も補償も求めていない。この仕組みは、教科書問題の根幹であるから後で説明する。

 政治家は、あてにならない。もとはと言えば、「社会党」が独自色を出すために、全国民の利益が犠牲にされたのである。社会党は、今や国民に見放され見る影もないが、彼らの残した禍根は、長く日本国民を苦しめるだろう。彼ら政治家は、以下の理由で日本国の政治家としての資格が無い。

1.自分の国、および日本国民を本気で護ろうという決意が無い。

2. 歴史に関する無知。筆者はこの件で、「無知は罪悪」だと知った。

3. 国際感覚、ないしは国際的な経験の欠如。言いかえれば、世界の荒波にもまれていない「井の中の蛙」である。井の中の蛙であるが故に、井の中の常識でしか物が考えられない。それは昨日まで、「周囲の状況が時代と共にどんなに変化しても目をつぶり、平和憲法にさえすがっていれば、平和でいられる」と盲信する人達が、急に責任ある立場になってしまったためであり、幾分かは同情の余地もある。むしろ党利党略で動いた一部の保守政治家こそ、もっと「国民の利益」を守ることに視野を向けるべきだったのではないか?

3)「歴史認識を共有する」と言うことの危うさ

 立場が違えば、ものの見え方が変わるのは当たり前である。例えば西部劇では、白人はヒーローであり正義の開拓者、インデアンは残酷で非文明的であり、最後にはコテンコテンにやられる悪者である。しかし、これは白人から見た歴史観に過ぎず、インデアンの側から見れば、白人は先祖伝来の土地を奪いに来た侵略者である。ヒーローでも正義でも何でもない。立場が違えば見方が違うのは、むしろ当たり前のことである。しかし、お互いの主義主張が異なることを認識しつつも互いに尊重しあう、あるいは礼節をもってお付き合いすることは充分可能である。中国や韓国が、「歴史認識を共有せよ」と言う意味は、彼らと日本がお互いに譲り合って共通の歴史認識を「新たに作る」訳ではなく、日本が100%譲歩して彼らの歴史認識を受け入れ、彼らに服従することに他ならない。その目的は、言わなくてもお分かりであろう。

出展:わが子に伝える誇りある近代史



世界は平和ではないし、人類社会は未熟なままだ。
我々は現実的な武力社会の中にいるし、様々な国際問題は国として力を持たなければ解決できないほど利己的で粗悪。いくらでも戦争が起きる可能性が残ってる。平和ボケして見下されては侵略される。現実は甘くない。


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第3話 日本国民への教育(教科書)の在り方

1)日本を見直そう

 自虐史観と言う言葉はあまり好きではない。しかし、筆者は今の歴史教科書が、「著しくバランスを欠いている」、あるいは、「著しく日本に対して悪意を持って書いてある」と考える。と言うよりも、教科書や副教材を書いている人間は「一体どっちの味方なのだろう?」と首を傾げっぱなしである。ひょっとしたら中国人や韓国人の学者が日本名で書いているんじゃないか(?)と思えるくらいである。この教科書で、本当に自分の国、あるいは自分自身を温かい目で見られる心豊かな子供が育つだろうか?もし教科書会社が、我が国の歴史、文化、伝統と言うものを「憎む」気持ちを子供たちの心に育みたいのなら、現在の歴史教科書は、「誠に適正」であると言える。しかし、自分の国をそんなに苦しめて、一体、どんな未来が待っていると言うのだろうか?

2)現在の、バランスを欠いた歴史教科書が、子供たちに与える影響について

1、   先祖を否定することは自分自身の命の源を否定することに他ならない。これは、現代の子供たちが、「自己肯定感」を持てない理由である。(注1)

2、   国家は人民を抑圧する悪と規定し、社会の絆の破壊しようとする。これでは、人は大勢の人に支えられて生きているということがわからない。すなわち、子供たちの「孤独感」、「疎外感」を生む。

3、   またこれでは逆に、人間社会において自分も一隅を照らす構成者であり、構成者であるがゆえに何らかの責務を果たそうとする、「健全な公共心」も破壊する。結果、人間を「自己の利益の追求」のみに走らせる。自分さえ良ければ何をしても良いと言う、「度を過ぎた利己主義」を助長する。(注2)

4、 残虐で目を背けたくなる記述の連続。「おまえの家は、先祖代々極悪人の家系」だと言われているようなもの。このような極悪人であった先祖たちと、自分は、無関係だと思いたい。一方、どうせ悪人の子孫なのだから悪い事をするものしかたがないという、犯罪意識の低下を生む恐れがある。

5、  人類の歴史を、階級闘争の歴史とし、子供たちの不満と闘争心をあおる。しかし、根底に「感謝の気持ち」がなければ、いかなる人間関係も好転しないのは、健全な社会人なら誰でも思うこと。このような、「反逆的思想教育」を受けた若者が、実社会に適応できず就職先が見つからない、あるいは、就職してもすぐに挫折し、無職のままぶらぶら過ごし、結局犯罪に走る実例が後を絶たない。(注3)

 

(注1)少々古い話しだが、昭和60年8月25日産経新聞に載った一つのインタビュー記事を引用する。語っているのは、長らく少年院で非行少年の更正指導にあたってきた倉科茂氏である。

「私は少年院で仕事をした38年間に、ご先祖様を大切にして仏壇に手を合わせると言う習慣のある子を一人も見ていません。ですからご先祖の事を子供に話してやりなさいと言うんです。おじいちゃん、おばあちゃんは貧乏で借金したけど、こういうところは偉かったと言う話しを、多少オーバーでもいいじゃないですか。ボタ餅を作ったら、まずお皿にとってテーブルにのっけて『ご先祖様、お初物ですよ、召しあがってください』と手を合わせる習慣をつけることですよ。そんな簡単な事くらいは出きるでしょう。別に宗教じゃなくてもいいんです。それをすると言う事は、自分が年を取ってから子供に尊敬されるということなんです。」
 このお話に「現行教科書の欠陥」があぶり出されていると言って良いだろう。自分の命は誰でも両親(二人)から貰ったもの。両親はそのまた親である、祖父母から命を貰い育てられた。祖父母の代までさかのぼると誰にでも4人の先祖がいらっしゃる。その無限の先祖の一人が欠けても、自分がここにいることは無い。だから人の命は重い。人は決してみず溜まりから生まれたのではない。親を思い先祖を思う心は、自分自身の命の源としっかりと結ばれるために不可欠であり、これ以外に漂流する現代の青少年が、自己のアイデンティティーを取り戻すすべは無い。誰もが先祖の物語を持っている。そこに小さくても良いから「誇り」を見つけることだ。それが歴史を学ぶ本当の意味ではないだろうか?

(注2) 筆者の個人的な感想であるが、先日あるショッピングセンターの駐車場で家族を待つ間、「障害者用の駐車スペース」と明らかに分るところに、次々と表示を無視して駐車する人が後を絶たないことに唖然とした。これでは本当に体の不自由な人が利用しようとしても全く駐車スペースがない。これでは何の為にこのスペースが確保されているのか解らない。「自分さえよければ人はどうでも良い」という自分勝手な考えは、相当日本国民の間に浸透していると見て間違いない。
 現代の日本には、誇りの感覚がないから恥の感覚もない。いじめが無くならないのも『弱いものいじめが恥ずかしいことだ』という羞恥心の欠如に問題の一端があるのではないか?人間が『わがまま』や『だらしなさ』を自由と履き違えた放任教育でどんどん『動物化』している。我々の子供たちはこのような大人にならないよう、しっかり教育しようではないか。

(注3) 今年(平成12年度)の卒業シーズンには、国立市の小学校で「国旗」を掲揚した校長に対して、児童が「土下座を求める」事件が起きていると言う。「児童の意向を無視した学校運営は、許されない」と言う主張であるらしい。裏で小学生を扇動している大人が必ずいるはずだ。幼いうちから政治色の強い活動をさせられたことが、児童たちの人格形成にどのような影響を与えるのか危惧される。

 現実に、歴史教科書、あるいはその背後にある思想(共産主義)が撒き散らした弊害が、子供たちの間に蔓延してきている。一方、実は子供たちもさる事ながら、大人たちにも自信がないことが、この社会の不安を生んでいる。誰が自信を持って天下国家を子供たちに説き、人の道を示せるだろうか?それは、大人たちも、現在にいたるまでの「自分を含めた国の成り立ち」をきちんと学んでこなかったことに原因がある。過去を正しく受け止められないため、未来に対しても長期的理想や夢を描くことが困難になってきている。長期的視野で国家としても、個人としても明確な目標を持てない為、日々の小さな失敗ですぐ挫折し絶望する。さあ皆さん、奪われた祖国の歴史を取り戻す旅に出ようではないか。自分がどこから来て何の為にここにいるのか、その本当の意味を知る為にも。

出展:わが子に伝える誇りある近代史



真実に到達した者は同じような答えを持つ。


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8)なぜ現在の歴史教科書が、子供たちに悪い影響を与えるのか

 他の国もやったのだから、日本の行為が正当化されると言う訳ではない。しかし、日本だけがアジアを侵略し、また筆舌に尽くしがたい戦争犯罪を行ったかのように受け取れる、現在の歴史教科書は明らかにバランスを欠いており、子供たちに自国の歴史について誤った理解を植え付ける。

 戦時における戦争犯罪は、どこの国が行った如何なる戦争にも存在する。どこの軍隊にも、軍人を相手にする慰安婦はおり、もちろん現在の韓国にも慰安婦はいて軍人割引もある。非戦闘員に対する無差別虐殺ならば、日本側も先の大戦中に80万人以上の武器を持たない女性、子供、老人を含む民間人がアメリカなどの連合軍に殺害されている。(注)

 (注)戦争犠牲者の数について
先の大戦における日本側の戦没者は軍人及び軍属が約230万人。それに対して外地で戦禍に巻き込まれ殺害された民間人が約30万人、国内で原爆や東京大空襲など、米軍機による無差別爆撃により殺害された民間人は約50万人である。(太平洋戦全国戦災都市空襲犠牲者慰霊協会調べ)

 日本の教科書には、「日本が(中国と)宣戦布告無き戦いに突入した」として、自国を非難する記述が見られる。しかし、アメリカは今日まで外国と200回も戦争をしており、宣戦布告をしたのは、そのうちわずか4回だという。これをアメリカの教科書が自国の暗部と非難し、その結果、アメリカ人が後ろめたい思いをしていると言う話しを聞いたことが無い。日本のことばかり悪く書いて、教科書執筆者は、正義の味方のような良い気持ちかもしれない。しかし、世界の常識の中で日本の姿を書かなければ、それで学ぶ子供たちが、「自分たちが世界で一番悪い民族なんだ」と言う劣等感しか持てないのは当然である。そもそも、過去に一度の誤りも犯さなかった民族など世界中のどこにも存在しない。
 ちなみに、昨今の世論調査によると、日本の子供が韓国や諸外国の子供に比べ、最も自己肯定感が無く、自分が将来幸せになれるとも思っていないと言う結果が出ている。
 歴史教育は、自分の国の成り立ちや先祖の活躍を学ぶ「人間教育」である。歪んだ歴史教育と自己肯定感を持てない子供達は決して無関係ではない。「武士道」の著者、新渡戸稲造によれば、「名誉」の感覚というのは「家族意識」と深く結びついているという。先祖に対する誇りを失うことで、子供達は家兄とか家族に対する愛着を失いどんどん孤独になっていく。

 しかも、今日のアメリカの代表的な新聞は、全て「日本は謝罪も補償もしていない」と言う論調一色であるという。我々からすれば、日本はこんなに謝りつづけているのに、どう考えても「必要以上に」謝り続けているのに、しかも、苦しい台所事情にもかかわらず、世界のどの国よりも、アジア諸国のみならず、世界に対してODAを始め国連の分担金やIMFなどあらゆる機会に最も貢献しているにもかかわらず、全くそれが認められていない。水道もいったん引かれた後は、蛇口をひねれば水が出るのが当たり前に思われ、水が出ることのありがたさは忘れられてしまう。隧道を引いた人の苦労と水が出ることのありがたさを実感してもらうには、思い切って一度水を止めることも必要ではないか?出なくなって初めて、世界の人々は日本の貢献を知るだろう。その時初めて日本人が流した汗が報われるというものだ。

 今のままでは、日本人の心理の中に言い知れぬ不満や閉塞感が鬱積してきており、我慢もやがて限界に来るのではないか?原因の一つは、海外のマスコミが、日本のことを何ら正しく伝えていないからであるが、元を正せば、自己の姿を正しく宣伝しない日本側の責任である。少なくとも、間違った報道をされて、それにきちんと抗議しない政府は怠慢ではないだろうか。沈黙は金とか、阿吽の呼吸と言うようなことは、国際間では全く通用しない。相手が間違ったことを言ったら、直ちに訂正を求めなければこちらがそれを認めた事になってしまう。

 アメリカは、内外各地の非戦闘員の上に焼夷弾の雨を降らせて焼き殺し、原子爆弾まで使用して瞬時に30万人を抹殺した。アメリカのやった戦争犯罪は、日本の行ったそれの比ではなく、しかも、誰もその戦争犯罪で責任を問われていない。謝罪も補償もしていない。それは、日本の側から決してアメリカの行為を非難する声が「上がらないようになっている」からである。
 ここが教科書問題の、一つの大きなポイントである。


 原爆使用を含む民間人の大量虐殺は、それを計画し、計画を許可し、民間人の頭上に爆弾の雨を降らせた実行者が必ずいる。ところが、原爆の碑が象徴するように、「過ちは二度と繰り返しませんから」となって、ひたすら被害者が内省し、その怒りが、「虐殺を行った側へ決して向かわない」ようになっている。「日本が悪い事をした罰として原爆を落とされた」、そう言うアメリカの詭弁は、アメリカの利益と安全に基づいた世論操作であり、その主張に嬉々として手を貸す日本人がいることは誠に情けない。しかし、これがこの稿で強調している、「負けた方は勝った方に全ての正義を奪われる」と言うことの実例である。しかし、もしこれで終わらせてしまうのであれば、悲劇はいつか繰り返されるであろう。なぜなら、虐殺をした側に、何らの反省もないからである。「アメリカが、自国の国益のためには、ためらわず武力を行使する性質」はその後の歴史に見る通りである。

出展:わが子に伝える誇りある近代史



団塊の世代ほど、
正しい歴史認識ができてなくて、
論理が支離滅裂であり、
今日の日本経済を破綻にいたらしめるのは日本の中枢が、

「未来を考えない個人主義、人格破綻者の集まりだったからである。」


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5)日本の行った戦争とは結局何であったのか

 マルクスレーニン主義は、共産主義の拡大に貢献するいかなる侵略も「正義」であり「聖なる戦争」であると定義している。共産主義がロシアから満州、朝鮮を通じて南下膨張をもくろみ、中国においても毛沢東に指導された共産党が、蒋介石の国民党軍と内戦を繰り広げつつも(中国内戦の犠牲者は100万人を超えると言う)成長しつつあった状況を認識しなければ、我々の祖先が抱いた「危機感」は到底理解できない。

 明治新政府が驚くほどスムーズに誕生したのは、欧米列強の侵略に対する「危機感」が、国を一つにしたからである。明治時代に日本がとった国策は、めざましい東方膨張をつづけたロシアの南下防止と黒船以来の米英等西欧列強と対等に渡り合う為、まず急速に国家体力(経済・軍事)強化する事に比重が置かれていた。当時の日本には、隣国中国が欧米列強に侵食される有り様をまのあたりにし、「もし亜細亜の地図から中国が消えたらなら、日本以外の世界は全て白人の所有に帰する。その次は日本である。」という危機感があった。それを防ぐには、中国に改革をもとめ日中が共同で強い亜細亜を作る必要があると言う考えがあった。(小寺謙吉著、「大亜細亜主義論」)


第二次世界大戦前


〈中国地図:ニコライエフスク港、通州、蘆溝橋、上海、南京等、事件上重要な大陸の都市の位置を示す〉

 大正6年(1917年)、レーニンに指導されたロシア革命の成功は、列国に強い脅威を与えた。新政権に反対するチェコスロバキア軍がシベリアに追い詰められた為、日本は大正7(1918)年8月、米英と共にシベリアに出兵するが、このあたりから日本の対ロシア政策は、「防共」の性格を持つようになる。

(注) 尼港(ニコライエフスク港)事件について

 現行の歴史教科書には、史実の一面しか伝えず結果として子供たちに偏った歴史観を植え付ける記述が多い。その典型の一つがシベリア出兵に関する記述である。「中学社会 歴史」(教育出版)には、「世界をゆるがした10日間」と副題をつけてロシア革命を賛美する一方、「日本がシベリアでの勢力拡大を狙い、連合国間の協定に違反する大兵を派遣し、撤退したのも最後になった」(下線筆者)と説明し、日本の立場を一方的に悪く子供たちに教えている。このような説明だけを聞いていれば、日本は全くの悪者にしか思われない。そしてそもそもなぜ各国がシベリアに派兵したのか、またなぜ日本がそこに軍を駐留させる必要があったのか、そして日本居留民が多数虐殺された尼港事件について、全く説明が無い。尼港事件における我が軍の奮戦は、書けばそれだけで一冊の本になるほどだが、誌面の制約上要点のみ記述する。
(大正10年、半島新聞社がまとめた「大戦終結世界改造史」の中にこの事件に関する陸海軍全戦死者376名の名簿と、共産パルチザンによって殺害された700名近いの日本人居留民に関する詳しい記録がある。)

 まず現行教科書における根本的な事実誤認であるが、「共産主義革命によってロシア全体が直ちに自由と希望に満ちた国家になった」かのような理解は全く事実に反する。現実には、ロシア政府が流血の革命によって転覆し、地方に至ってはまさに無政府状態が出現した。多数の囚人が送られていたシベリアでは、あったのが牢から出され、これが凶悪な共産パルチザンを形成するに至った。シベリア方面では、まだ(保守派である)ロシア極東総督、ロザノフ中将始めコルチャック提督などが革命派勢力(共産パルチザン)と戦っていた。革命派は、外国勢力追放を叫び各地で外国人の襲撃事件を起こした。

 日本側からすれば、革命派勢力に対抗する「友好穏健な政権」がシベリアに生まれる事は、極東の平和と日本居留民の安全みならず、日本の安全を守る利益につながるものであった。地理上シベリアは、北海道樺太に直結しているからである。
 残念ながら大正9年、オムスクにあった穏健派政府は共産過激派の攻撃を受けて崩壊し、これに伴ってアメリカ、イギリスが撤兵してしまった。そのため均衡を保っていた、日本の防衛線が極度の戦力不足となり、補充の為やむなく第12師団を派兵せざるを得なくなったのがシベリア出兵の実状である。

 大正9年(1920年)1月29日、ロシア極東の尼港(ニコライエフスク)市(樺太とシベリアとの接点にあたる)は、トリビーチンを首領とする約4000人の共産パルチザンに包囲された。当時、ここには約1万5千人のロシア人一般市民、約1000人の中国人、約500人の朝鮮人、及び約700人の日本人が住んでいた。またここを守備していたのは、石川少佐率いる2個中隊と無線電信隊の40名、それから保守派のロシア兵(共産赤軍に対して白衛軍と呼ぶ)合計しても約500名のみであった。共産パルチザンは、策を用いて和睦すると見せかけ市内に入るやいなや、このロシア白衛軍の将兵を捕らえて殺害し、合わせて一般市民の中から「有産智識階級」とユダヤ人を選んで虐殺をはじめた。共産パルチザンは、黒龍江の結氷を破り、有産智識階級を殲滅する為、銃剣で突き刺して次々と凍る流れに人々を放り込んだ。これによって「有産智識階級」とユダヤ人約2,500人が惨殺された。我が日本守備隊は、これを黙視できぬとして共産パルチザンに抗議したが入れられず、敵は逆に守備隊の武装解除を要求してきた。敵は多勢をもって日本守備隊を侮蔑していた。仮に武装解除に応じても、無抵抗で虐殺されるのは誰の目にも明らかであった。やむなく石川少佐以下、約400名の日本守備隊と在留邦人50名の義勇軍は、生死をかけて、数の上では10倍に勝る共産パルチザンに対して市街戦の火ぶたを切った。この戦闘は筆舌に尽くしがたい。追い詰められた日本側は、石田領事以下数十人が燃え上がる日本領事館と運命を共にした。日本守備隊は、河本中尉以下121人の兵士が3月17日まで頑強に抵抗したが、敵は再び策を労して、「山田旅団長の停戦命令」を偽造した。河本中尉は、「停戦命令に従わなかった事が他日国際上の問題となることを心配し」これを受け入れた。ところが結局この121名は投獄され、食事もろくに与えられず日本の救援軍に対する防御陣地構築に駆り出された後、零下30度のアドミラル河岸で両手を針金で後ろ手に縛られたまま共産軍によって次々と虐殺された。残された在留日本人も(この人達は当時商社などに勤めていた一般市民である)、多くが共産パルチザンの手で惨殺された。この惨殺には、中国人と朝鮮人も加わり、日本人の死体の指を切り落として指輪を奪い、斧を振るって頭部を砕き金歯を奪って行ったと言う。以上は、中国人の妻となっていたため難を逃れた日本女性など生き残った人の証言、及び救援軍によって掘り出された戦没将兵の手帳にある戦闘記録による。

 以上のとおり、日本守備隊はいたずらに撤退を引き伸ばしたのではない。撤退するにも撤退できなかったのである。冬のシベリアは海が凍る為、小樽からの救援部隊も容易に近づけず、陸上からの救援も40日を要したと言う。


 これだけ多数の日本人が共産党のパルチザンに殺害された事件は、「一大国辱」として全国諸新聞に報道されていたにもかかわらず、現行の歴史教科書がこの事件に全く触れずに日本の立場のみを悪くするような記述に終始するのは、教科書の執筆者が「共産主義にひとかたならぬ共感、あるいは好意を抱いている」からではないだろうか。
 前述の通り、当時派兵したのは日本だけでなく、各国が共産主義の拡大に脅威を感じていたのであり、どこの政府も現行教科書が記述するような「共産主義革命」を歓迎していない。事実、当時レーニンの過激派政府は、列国のいずれからも承認されていない。日本は、米英と比べてロシアに対する近さが違う。シベリアの赤化は日本本土に対する直接的脅威であった。日本の安全を守ろうとした先祖の行為を、子孫である我々がなぜ責めるのか?
 歴史と言うのはこのように、「立場が違えばまったく正反対の見方」ができるものである。
 日本の子供が学ぶ日本の歴史教科書は、全くと言って良いほどにほんの立場で書かれていない。

 昭和に入ると「防共の自衛的国策」は一層顕著となる。加えて、「欧米列強(白人)の支配からアジアを解放し、日本を中心としたアジア人の共栄社会を作る」という二つ目の意義が、当時の日本の側から見れば確実に存在した。逆にアメリカこそ、西へ西へと領土的欲望を拡大してきた歴史を持ち、その勢いで太平洋の島々を次々と植民地と化し、フィリピンにまで至った第一級の侵略国である。アメリカは、たまたま南北戦争という内戦の為に、他のヨーロッパ列強よりも中国の分割争いに出遅れた。その為時を同じくして、太平洋を挟んで頭角を顕わしつつあった黄色人種の国、日本が、邪魔で仕方がなくなったのである。アメリカは、当時も今も「自国の国益を最優先させる自己中心的な国」に変わりなく、むしろアメリカのほうが、日本を政治的に孤立させ、経済的に封鎖し、人種的に差別することによって戦争に追い込んだと言う証拠は、いくらでも挙げることができる。(注)

(注)

 オレンジ計画(対日戦争に関するシュミレーションは、日露戦争の直後からすでに準備されていた)、土地所有禁止法、排日移民法、アメリカの工作による日英同盟の破棄、ABCD包囲網など。最後には、ハルノートのような日本がとても飲めない無理難題をわざと突きつけた。こんなものを突きつけられたら、バチカンのような小国でさえ銃を取って立ち上がっただろうと言われる。ちなみにハルノートについて、東京裁判における当時の東郷外相の宣誓供述書にこうある。

 「我々は、アメリカは明らかに平和解決の為の合意に達する望みも意思も持っていないと感じた。けだしこの文章は、平和の代償として日本がアメリカの立場に全面的に降伏する事を要求するものであることは、我々にも明らかであり、アメリカ側にも明らかであったに違いない。(中略)この挑戦に対抗し、我々自らを護る唯一の残された道は、戦争であった。」

 終戦後まもなく(1947年)出版された「真珠湾―日米開戦の真相とルーズベルトの責任」によると、ワシントン中枢から現地司令官宛ての電報で、「先に仕掛けさせよ、それまで手出しはするな」と記された公文書が存在する。また、1940年10月7日の日付のある、海軍情報部極東課長の報告書に、「日本を公然たる戦争行為に誘い込む」とあり、結果から見るとアメリカの方こそ、日本を戦争に巻きこむ機会を覗っていたことは、明らかである。こう言う事実を書けない事が、「アメリカの作った」日本の教科書の限界であろう。この点も教科書問題の重要なポイントのひとつである。(注)

(注)

 日中戦争についても、これに類する誤解がある。一般には、日本が中国を侵略したとしか理解されていないのではないか。一昔前の歴史解説書には、「日本の軍部が、蘆溝橋(北京の郊外)における軍事衝突を利用して、戦線を中国全土に拡大した」と異口同音に書いてある。この銃弾は、「日本側から発射された」と言うのが戦後の定説であった。理由は、後に触れるが「支那事変は、全て日本軍の陰謀で起こされた」と言う判決が東京裁判で下ったからである。しかし、真相は全く違う事が、さまざまな資料から明らかにっており、定説はすでに入れ替わったと言って良い。
(田原総一郎氏も、「現在では、中国側の発砲と言うことが定着している」と述べている。)

 詳細は他の章に譲るが、昭和12年7月7日午後10時、最初数発の銃弾が、蘆溝橋付近に駐屯していた日本軍の中隊に撃ち込まれた。(正式な部隊名は、支那駐屯歩兵第一連隊第三大隊第八中隊、中隊長・清水節郎大尉)この時日本側は、中国側に軍使を派遣することで全く応戦していない。翌8日午前4時に再び発砲があったが、この時も事件の拡大を恐れた日本側は直ちに応戦していない。すると午前5時、中国側が本格的に攻撃を開始したというのが真相である。少なくとも、日本側は、最初に攻撃を受けてから6時間以上も一発も応射していない。しかも、両軍衝突後、わずか4日目に現地で協定を結び事態を収拾している。
 日本側がしかけたものでは無いと言うもう一つの根拠は、当時北京周辺に駐留していた日本軍は5千人程度であり、しかも、その配置は蘆溝橋に備えたものではなかった。これに対して、宋哲元率いる中国第29軍は、少なくともその10倍の人員を擁しており、日本日本側があらかじめ計画して発砲事件を起こしたとは、とても考えにくい事件を起こしたとは、とても考えにくい日本日本側があらかじめ計画して発砲事件を起こしたとは、とても考えにくい事件を起こしたとは、とても考えにくいことである。
(にもかかわらず、東京裁判で、一方的に日本に責任を転嫁する結論が出されたのは、どのような根拠があったのだろう?また、戦後の学者が、この判決を好んで流用したのはなぜだろうか?読者の皆さんにもお考え頂きたい。)
 蘆溝橋の軍事衝突を日中の全面戦争に拡大したのは、実は蒋介石である。7月7日、当初、北支(北京を中心とする中国北部)で起こった小規模な軍事衝突は、8月13日、蒋介石が数万の国民党軍を蘆溝橋と全く関係無い上海に集結させ、日本人租界にいた居留民を包囲したことから中支(上海、南京を中心とする中国中央部)に全面展開することとなった。当時上海には、日本だけでなく欧米諸国がそれぞれ租界を持ち、その中で居留を認められており(フランス租界が最も高級地)、自国民を護る軍隊の駐留も認められていた(最大の居留者はアメリカ人で居留民約4000人)。蒋介石には、敢えて戦場を上海に移すことにより、欧米諸国の関心を呼ぶ意図があったと推測される。中国側の記録では、日本人居留区を包囲した国民党軍兵士は8万人とされており、攻撃を受けた上海の日本側は、当初わずか3000人の海軍陸戦隊のみで充分な装備がなかった(注)そのため、内地に援軍を求めざるを得なかったのである。(読者は、8万人の中国軍に包囲され、殲滅される立場に立たされた人々の恐怖を理解しなければならない。)
 故に、当初北支事変と呼ばれた紛争も、支那事変(すなわち全面戦争)と改称せざるを得なくなったのが実情である。蒋介石は、上海に戦線を拡大するにあたり、日本と全面戦争を構える事を公言しており、(「抗戦中の全将兵に告げる書」他による)したがって、日中の全面戦争は、日本の軍部だけが好んで構えた事ではないことを記憶されたい。

(注)

 上海戦に参加した中国軍(国民党軍)は、チェコ製機関銃,ドイツ製高射砲、迫撃砲、野砲、重砲等の兵器と砲弾を豊富に持っており、日本将兵の証言にも「中国兵の去った後にはザルでかかえるほどの弾が落ちていた」とある。

 チャーチルの度重なる参戦要請に対し、ルーズベルトは、議会の決定が無ければ動くに動けなかった。しかし、当時アメリカの参戦に対する世論は、あまり盛り上がってはいなかった。そこで、日本を追い詰め「日本から戦争をしかけさせる」ようにすれば、アメリカの世論はいやがおうでも盛り上がると考えたのである。運命のその日、日本は真珠湾を「騙まし討ち」する形となってしまい(注)、「卑怯なジャップの騙まし討ち」と言う一言で、たちまちアメリカの世論は沸騰した。これでアメリカは、ヨーロッパ戦線に遅れること2年3ヶ月にしてようやく第2次大戦に突入した。
 逆に日本は、昭和16年12月の開戦ぎりぎりまで外交ルートによる和平を模索していた。しかし、今日の資料によれば、日本側の苦悩は「最初から無駄であった」と言わざるを得ない。しかしそんなことは、当時の人達にはわかるはずも無かったのである。

(注)

 日本は最初から、「騙まし討ち」を狙ったのではない。本国から最後通牒の電文が送られた前夜(現地時間12月6日夜)、ワシントンの日本大使館では、寺崎英成書記官(後の「昭和天皇独白録」記録者)の送別会が行われた。その後、電信員は全て職務に戻り、午後9時半から翌7日深夜にかけて、対米覚え書きの13部まで解読した。14部がまだ来ていなかったので、当直員を残して各自宿舎に帰った。7日朝7時から8時にかけて、数通電報が配達された為、直ちに電信員を呼集したが、宿舎に帰った直後の為すぐに集まらなかった。午前10時頃から「至急」とあるものから解読したが、大臣、局長からの慰労電、前の電文の訂正が先に解読され、肝心の午後1時までにアメリカ側に手渡すべき電文は、午前11時になってやっと解読された。当時タイプの打てる高等官職員は、奥村書記官だけで、度重なる修正と時間が差し迫ったあせりの為ミスタイプが続出し、午後1時の会見に間に合わない事になった。
 驚いた事に、そこで来栖、野村両大使は、午後1時の会見に遅れる旨をアメリカ側に連絡した。結局午後2時5分に国務省についたが15分待たされて、2時20分にようやく覚書を手渡した。このため、真珠湾に第一次攻撃隊が突入した午後1時25分から約1時間遅れてしまったと言われている。

 なぜ、このような危機迫る時に、(機密保持の為と言われるが)大使館に充分な要員がおらず、また大使館内に危機感がなかったのだろうか? それから、この一件は昨今、大使館員の怠慢とだけ言われている面があるが、東京裁判で述べられた証言によれば、本省からの打電の仕方も悪いと言わざるを得ない。それにしても、時間が無いのなら、なぜとにかく国務省に出向いて口頭で説明し、できた分だけでもアメリカ側に手渡さなかったのか? 最後通牒は、英文で書かねばならないと言う法律は無いはずである。むしろ、指定された期限に間に合わない方がよほど重大な問題である。この遅れによって、日本は永久に「卑怯な騙まし討ち」のレッテルを貼られ、アメリカに「正義の戦争」と言う大義名分を与えてしまった。
 アメリカではこの日を「A Day of Infamy」と言う。「醜聞の日」、または「国辱の日」とでも訳すのが適当だろうか?
 このミスを犯した大使館員たちは、戦後何らのとがめも受けずに栄達を遂げている。それにしても、来栖、野村両大使が到着した2時5分には、すでに真珠湾が攻撃された事はアメリカ側に伝わっていたはずであり、さらに15分待たせたのは、通告が一時間くらい遅れた事にしないと、騙まし討ちと呼ぶには充分でなかったためであろうか?
 (上記は、東京裁判における結城一等書記官の証言に基づいている。別の説に、送別会のあと実は大使館員は全員帰ってしまい、翌朝出勤した海軍武官が玄関に突っ込まれた電文の束を見つけ、大使館員に連絡したと言う説がある。電文は、専門員でなければ解読できない。いずれにしても、海軍の機動部隊がハワイに迫る緊迫した状況下に大使館員によるパーティーが開かれていたことは事実であり、この不手際について責任が明確にされていない事も事実である。)

 真珠湾の鮮やかな奇襲作戦は、いたくアメリカのプライドを傷つけた。このためいつまでも、「リメンバーパールハーバー」と言われている。ちなみに、大東亜戦争(太平洋戦争)の攻撃開始は、陸軍のマレー上陸作戦の方が時間的に早く、しかも英国に対して最後通牒も何も渡していない。しかし英国が、それを後日「マレーの騙まし討ち」と呼んだ事はない。この事からも、当時最後通牒や宣戦布告が戦争開始にあたってさして重要な問題とされていなかった事が分る。
 

 結果的に日本が負けたため、日本の立場は否定され、連合国の立場で見た歴史観、あるいは連合国の正義だけが残って、今日まで深く長く日本人の意識を支配している。考えようによっては、とにかくまず勝ちさえすれば、「大義名分は後からいくらでも付けられる」ものかもしれない。例えば薩長が勝利した結果、新撰組が逆賊と呼ばれるようになったようなものである。正義の軍隊が勝つのではなく、勝った方が正義の軍隊となるのだ。
 敗れた日本に対しては、贖罪の意識を植え付けるための試みが、東京裁判以降、今日まで脈々と続いてきた。一つの例をあげれば、原爆を落としたわけでもないのに、短期間に30万人などと言う虐殺が本当に可能であったかどうか、大いに議論のわかれる「南京大虐殺」は、「史実」として日本の教科書に書かれ、逆に、日本の居留民が、筆舌に尽くしがたい残虐な方法で多数虐殺された「通州事件」(昭和12年7月29日、北京の東方、通州で起こった事件)については、文部省の検定意見がついて「我が国の」教科書に載せられないという、摩訶不思議な状況は、今日の日本人の精神的敗北を象徴している。(注)

 

(注)

 通州事件は、事件後直ちに救援に向かった日本軍守備隊により、詳細な記録が残っており、「事件直後から」新聞報道がされている。(ここが南京事件との違いである)要約すれば、数千人と推測される中国保安隊に襲われ、北京東方、通州城内の日本軍守備隊(140名)は、必死の防戦空しく全滅し(給仕の少年まで銃を取って闘った跡がある)、その後に残された住民260人が、筆舌に尽くしがたい残酷な方法で虐殺されている。14才から40歳くらいまでの女性は、全員強姦された上、陰部を刺されて殺され、その他、目玉をえぐる、内臓を掻き出す、子供の指をそろえて切り落とす、針金で数珠つなぎにする、生きたまま皮をはぐ、手首足首を切り落としてばらばらにする、口に砂をつめて窒息させるなど、「日本人には考えつかない猟奇的な方法」で殺害されている。斧で顔をぐしゃぐしゃにされた人以外、一人一人の検死資料も残っており、記録を見ると胸が押しつぶされる気がする。

 また誌面に限りがあるので書ききれないが、満州から引き上げてくる無防備な日本開拓団の人々に対し、ロシア兵も八路軍(中国共産党軍)も朝鮮八路軍(注)も暴虐の限りを尽くしている。後からやって来た国民党の正規軍も格好は良かったが、賄賂や婦女暴行は日常茶飯事だったという。筆者の親戚に何度か捕らえられたが脱走し、最後には親切な中国人にかくまわれて奇跡的に一命を取り留めた人がおり、詳しい手記を残している。
 日本女性を連れ去って強姦する、それから中国残留孤児には「父親とはぐれ」と言うのが良くあるが、これははぐれたのではない。父親は連行されて虐殺されたのである。この親戚は、中国共産党軍が、開拓団の団長や日本の官吏であった人々を、川原に引き出して銃で撃った上、銃剣で蜂の巣のように突き刺したり、首だけ出して生き埋めにしておいて、死ぬまで軍靴で顔面を蹴り、なぶり殺しにする所をその目で見たと書いている(原文には犠牲者の名前も書いてある)。


(注)朝鮮八路軍

 中国の八路軍(共産軍)に対して、当時朝鮮の義勇軍をそう呼んだもの。手記の前後には、金日成に率いられた「李紅光支隊」とある。朝鮮八路軍に捕らえられた日本人は防空壕の中に放り込まれ飢えと寒さと拷問で殆ど死んだ。朝鮮八路軍のやり方はヒステリックで「36年の恨みだ!」と殴る蹴るの乱暴の限りを尽くし、男が拘置されている間、女を陵辱した。このため自殺した主婦もいたと言う。

 避難民の多くが日本を目指した中継地点に通化の街があり、筆者の親戚はここで八路軍(中国共産党)に捕らえられた(通化というのは、中国と朝鮮の国境付近で中国側の都市)。国境に近かった為、武装した朝鮮人義勇軍が日本人狩りをしていたという。

 通化事件

 戦争が終わっても、引揚者が無事に日本へ帰ることは容易でなかった。日本人の一部が国民党と組んで八路軍(共産軍)を攻撃したという理由で、昭和21年2月3日早朝、大規模な日本人狩りが行われた。戦前の中国が一つだと思っている日本人にはなかなか理解できないが、蒋介石の国民党と毛沢東の争いは根深いものがある。筆者の親戚が自らの体験を記した手記によると、3千人とも4千人ともつかない日本人が、零下30度の寒さの中、両手を上げさせられて八路軍(共産軍)に銃剣で追い立てられていた。日本人の男16歳から60歳が連行され、先頭から氷の上で射殺され川に投げ込まれたと言う。この列は途中で方向転換したが、親戚は旧通運会社の社宅に100人近くの人と押し込まれた。八路軍は、身動きできず酸欠で口をパクパクしている人達を、窓からライフルで撃ち、足元が血の海になったが死体を外に出すこともできなかった。一週間にわたる拷問と銃殺、あるいは凍死によって軍とは何のかかわりもない民間の2千人近く殺された。戦争が終わって半年経っても大陸ではまだこのような日本人に対する虐殺が平気で行われていたことを今の日本の若者は知らずにいる。筆者の親戚は、自らこの事件で生き残った者の一人として、事件の真相が「日本人どうしの殺戮だった」などと歪められて伝えられていることを嘆いている。

 人民裁判
 中国共産党の本拠地である延安から若い裁判官がやってきて人民裁判が始まった。日本人には馴染みがないこの様子を紹介する。
台の上に日本人が立たされる。満州時代の罪状を民衆に問う。黒山の野次馬の中から「俺達を酷使した」。「俺達を殴った」という声が上がる。裁判長が「どうする」と問うと。「打死!打死!(殺せ殺せ)」と民衆が叫び、これで裁判は終わり。
 その日本人は背中に「南無阿弥陀仏」と書かれ、馬に乗せられて市内引き回しの上、河原に連れて行かれて次々と銃殺されたという。

このとき日本人の共産党員は何をしたか

 通化にはもともと1万4千人の日本人居留民、10万人以上の他の地域からの避難民がいたが、武装解除された日本兵が次々とシベリアへ送られていくのを虚脱した目でながめ唖然とするだけだった。ソ連兵は日本軍が提出した武器を、その場で八路軍(共産軍)に渡し武装させた。国家から見放され、後に残された日本人に対して支配者八路軍(共産軍)と朝鮮義勇軍によって掠奪、暴行、拉致、殺戮の地獄が繰り広げられた。
 このさなかに、「延安からやって来た筋金入りの日本人共産党員」がいたことが、手記には書かれている。彼らが組織した「日本解放工作委員会」は、あるいは「清算運動だ」あるいは「集団訓練だ」と言って、居留民の財産没収、自由拘束、不服従者の人民裁判など弾圧を繰り広げ、しかもスパイ網を確立して全日本人を不安と絶望のどん底にたたき込んだという。彼ら日本人共産党員によって、居留民会長であった寺田氏を始め、通化在住の実業家、著名人約180人が密告されて逮捕、罪状ねつ造の上処刑された。その処刑の様子は先に記したとおりである。戦時中、日本を捨て共産主義の延安に走った彼らは、当時、売国奴として日本人にののしられたが、日本が負けて彼らは逆に英雄気取りであった。「避難民が乞食同然の生活苦に追いやられている時、彼ら工作員は立派な服を着て街を闊歩しており、罪なき日本人を売って得意となっていたことをこの目で見て腹立たしい思いがする。」と書かれている。
 後で再会した開拓団の団長によると、この親戚が生後40日ではぐれた一人娘は、開拓団の医者の手で殺されたとわかった。ソ連が侵入したときには、開拓団には女、子供と病人しかおらず、馬車を仕立てて避難していたら満州人に馬車ごと荷物を全部盗まれてしまった。道中、団長は暴徒に襲われ靴まで脱がされた。食べるものもなく、追いつめられ、子供は乳が出ないため次々と死んでいった。それで開拓団の医者は、これ以上苦しめるより楽に死なそうと女の子に注射をし、死体は箱に入れて他の山積みになった日本人の死体の所に置いてきたという。その後、ソ連兵に捕まって収容所に入れられたが、収容所の内外で開拓団の女性は乱暴され殺された者もいたと言う。団長は、筆者の親戚に「気が済むまで自分を殴ってくれ」と詫びたという。

 また、別の満州引揚者から直接お聞きした話だが、当時小学校で仲良しの女の子がいた。ところが父親が警察官だったため、終戦後、多数の中国人がその家を襲い奥さんと小学生の女の子まで連れ去っていった。同級生の女の子は二度とその家に戻ってこなかった。親子3人が中国人になぶり殺しにされたのである。敗戦国民の悲しさで、誰も助けてあげられなかった。

 これらは、私一人が聞いた事例のほんの一部を紹介しただけであり、終戦後、無抵抗の日本人に対してこのような掠奪と暴行、殺戮が、中国人、朝鮮人によって行われたことは事実である。これは「日本人がやったからやられたのだ」というレベルを超えている。

 もちろん、中国人、朝鮮人の全てが悪人であったわけではないだろう。しかし、軍が戦後のどさくさ紛れに、このような形で何万人もなぶり殺しにされた事実は全く取り上げられず、「怪しげな日本人の加害行為」だけが大々的に取り上げられ、「これでもか!」と言わんばかりに日本の子供達に投げつけられている現状は、公平と言えるだろうか?また中国人や朝鮮人が一方的な被害者で、日本人が加害者だとそんなに簡単に決められるのか?

 「南京大虐殺」について、「あったか、なかったか」という観点からの議論をよく見うける。もちろん、歴史の真相を見極めることは非常に重要である。しかし、この事件の本質は、「あったか、なかったか」と言う観点ではなく、中国、アメリカ、ドイツ、そしてそれを手助けする日本の共産主義者(社会主義者)、あるいは正義漢気取りのリベラリスト、それぞれにとって「南京大虐殺がなぜ必要なのか?」という観点で考えないと理解できないように思う。

 意外なことにマッカーサーは、1950年に起こった朝鮮戦争の体験を通じ、日本の戦争は、「日本が自己の存在を守るため必要な戦争であった」ことを、アメリカ上院の軍事外交委員会において証言している。朝鮮半島は、まさに南下する共産軍とそれを食い止めようとする自由主義陣営とのイデオロギーの対決の場となった。北側が韓国に攻め込んだ際、マッカーサーは国連軍を率いてこれと戦った。その北側には、共産国ソ連が後押しして無限に武器が供給され、また北側が不利になると共産国中国も参戦して北側を支援し、一時優勢であった国連軍を38度線まで押し戻してしまった。この朝鮮戦争は、今だに一時休戦状態で、戦争はまだ終わっていないことを日本人は忘れがちである。しかし、韓国人にしてみれば、「度重なる北朝鮮の軍事的侵入も戦争が終わっていないと言う認識からすれば驚くに値しない」と言うのも納得がいく。
 自分自身が体験してみて、マッカーサーは、「怒涛のように押し寄せる共産主義の防波堤として、日本が孤立無援で戦ってきた」その意味をようやく了解した。驚くことにマッカーサーは、朝鮮戦争の際、旧満州や中国まで爆撃する必要性を主張している。(結局主張は、議会で退けられたが)
 近年アメリカでも、「もしアメリカが当時日本を追い込まず、アジアにおける防共の役割をまかせておけば、後年、朝鮮戦争やベトナム戦争の泥沼に巻きこまれる事態は起こらなかった」とする意見もある。

 日本人はなぜ怒らないのか。それは、怒ることを忘れるように、あるいは萎縮して、二度と立ちあがれないように、自国の罪ばかりを長い間、「教科書で」教えられて来たからである。この罪の内容は、明らかに後世、この目的の為に創作された虚構が含まれている。そこには報復を恐れ、自分の側には戦争犯罪はなかったかのように、日本人を「マインドコントロール」してきた戦勝国の思惑が存在する。(筆者自身が、JCメンバーのような若い世代と話しをしていても、その洗脳の深さを痛感する事がある。)

 50年に渡る、「長い洗脳教育」を受けた結果、現代の日本人には、一般的に「歴史の真実から目をそむける傾向」が生まれた。それは、虐殺を否定すると言う意味ではなく、むしろそのようなことは、「多分あったのだろうけれど、あえてかかわりたたくない」と言う傾向である。その結果、国の将来を真剣に憂うる者を、「右翼」の一言で片付けるようになった。健全な議論の封殺である。日本を取り巻く国際情勢は、そんなに簡単なものでも、甘いものでもない。ところが、日本人の頭の中は長い間の愚民政策ですっかりやられてしまった。

出展:わが子に伝える誇りある近代史



筆者に敬意を示したい。
読んで字のごとくだ。


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1)教科書問題を理解するための若干の前提

1.日本が戦争に負けたと言うこと。負けた方は、勝った方に正義を奪われると言うこと。これをまず理解する 必要がある。忘れてはならないのは、 「負けた方の言論は弾圧されるのではなく、完全に抹殺される」のである。

2. 現代の価値観を基準に、過去を裁く態度は不合理と言えるだろうか?周囲の環境、生活の豊さが全く異なる我々が、違った状況に置かれていた祖先の行為を非難する事が公平と言えるのか?価値観とは、時代や文化、宗教、国境などによって変化するものである。

3.教科書に書いてあるからと言って、それが「全て歴史的事実だとは限らない」かもしれない。今までの常識を一度疑って、何が真実か自分自身で判断する必要がある。

4.どこの国の国民も、自分たちに与えられた情報からしか物事の善悪を判断する事はできない。その情報が、政府の意向でコントロールされていれば、国民はそれに従った行動を取ると言うのは何も日本に限った事ではない。むしろこの傾向は、現在日本より周辺諸国の方が強い。

5.過去の出来事には、「歴史的事実」と「政治的事実」があり、「政治的事実」は、大国の政治的思惑で後にいくらでも書きかえられる可能性がある。

6.中国とは何か、中華思想とは何か、日本人とは全く異なる彼らの常識や歴史、文化を理解しないと教科書問題の裏側が理解できない。

7.教科書問題は教育問題である一方、日本のお金を如何に引き出すかと言う外交あるいは経済問題であることを認識する必要がある。

8.共産主義とはどういうものかについて、基本的な理解が必要である。

9.日本を侵略国と決め付けた「東京裁判」とは如何なる裁判であったのか、日本人の常識として知っておく必要がある。

10.戦争とは悲惨であり残酷なものである。しかし、現在の日本の歴史教育は、日本人が一方的な加害者であったように記述している為、子供たちに戦前戦中の状況について誤った印象を与えている。この点で明らかにバランスを欠いた物である。故にこの稿では、敵国の加害行為や報復の事実も若干記述する。

 実は教科書問題は、日本が戦争に負けた直後から始まった。それはGHQが、アメリカにだけ都合の良いように、「日本の歴史を書きかえる」ことを始めたからである。しかし、我々が学生時代に学んだ教科書は、それほどひどかったという記憶も無い。今日教科書問題と呼ばれる事態は、昭和57年「侵略進出誤報事件」が起こり、当時の宮沢官房長官が、「教科書検定基準に近隣諸国条項を加える」との談話を発表したことに端を発している。この談話以来、近隣諸国が公然と日本の内政に干渉し、教科書を政治的意図でコントロールする事態が始まった。日本の子供たちを、頭が真っ白なうちから教科書を通じてマインドコントロールし、贖罪の意識を植え付ける。日本人の贖罪の意識(あるいは劣等感と言っても良い)を利用して外交交渉で優位に立ち、思いのままに日本人の税金を持ち出すことがまかり通る。誰もこれに対して異議を唱えられない空気が漂っている。昨年(平成11年)、江沢民氏は3,900億円を鷲づかみにし、有難うと言うどころかさんざん無礼な態度を日本国民の前に示して下さった。日本の住専に5,800億円投入するのにあれだけ反対した大新聞が、どうして中国に対しては何も言わないのだろう?

 日本国内には、近隣諸国に有利にことが運ぶように協力を惜しまない勢力がある。マスコミや学会の中では多数派の共産主義、社会主義を信奉する人々である。この人々は、ほぼ反日主義者と重なると言って良い。日本人でありながら日本の悪口を言い、先祖を非難することで自分が正義の味方であると錯覚した人々である。なぜ共産主義者が、近隣諸国(と言うより反日勢力)に手を貸すのかは、後の項で説明する。加えて昨今、この運動に協力しているのが、保守政党の中にいるリベラルと称する実質「社会主義者」たちである。この流れが、教科書問題を取り巻く現状認識の第一歩である。

 日本は中国に対して、今日まで2兆4千億円と言う巨額の経済援助をしている。この中には有償、無償の援助があるが、誰がこの不況時に我々中小企業に30年間無利子、無担保で大金を貸してくれるだろうか?しかも、これがちゃんと返済されるかどうか保証は無い。むしろ昨今、中国が歴史認識の問題を持ち出し、日本に脅しとも取れるような非難を繰り返しているのは、戦後補償と借りたお金を帳消しにする前触れとも受け取れる。サンフランシスコ講和条約で、戦勝国の中には賠償を放棄した国もあると言うが、逆に日本も中国などに残した莫大な在外資産を放棄させられている。ちなみに当時、台湾には40万人、満州には100万人以上の日本人が住んでおり、その人達が中国の大都市に残してきた個人、企業資産全てを没収したのだから大変な額であろう。その上、今日まで2兆4千億円の経済援助である。韓国に対しても、昭和40年(1965年)の日韓基本条約で、当時、有償無償あわせて6億ドル(注1)という巨額の「賠償金」を支払って示談にしている。当時日本の外貨準備高は18億ドルであり、そこから6億ドルを出すと言うのは、まさに手持ち資金の1/3にあたり、賠償の相手は韓国だけではないことを考えれば、当時の日本に取っても大変な出費であった。一方、韓国の外貨準備高は当時、1億3千万ドルであり、貿易赤字が手持ち外貨を上回る2億9千万ドルと言う「火の車」であった。故に韓国経済が、いかに日本からの6億ドルの資金を必要としていたかは想像に難くない。事実、当時の韓国政府の要人が必死になってこの条約をまとめようと日本に働きかけている。(注2)

 これら日本からの協力金が、その後の中国経済の驚異的発展、あるいは韓国経済発展の起爆剤となったことは疑いを入れない。

(注1)日本が韓国に支払った「賠償金」(正確には韓国とは戦争をしていない為、戦時賠償とは言えない)は、無償3億ドル、長期低利借款2億ドル、その他に民間ベースで1億ドルの合計6億ドル。
 この時日韓で協定を結び、これによって韓国の対日請求権は、全て消滅する事が確認されている。この請求権には、「韓国の対日請求権要綱」に基づく全ての請求が含まれており、1965年の時点で両国の戦後補償は完全に決着した。これを今さら覆すと言うのであれば、むしろ韓国は国際条約を遵守しない国ということになろう。
 如何なるケースでも、「示談」にすると言う場合、双方が100%満足しているわけがない。しかし、同じテーブルについて署名をし、握手をした事実は尊重されなければならない。一度示談にした問題を、後で貰いが少なかったからと蒸し返す事は通る話ではない。

(注2)反日政策一辺倒の李承晩大統領のもとでは、不正が横行し、経済成長率も人口増加率を下回ったと言う。国民所得は世界最低水準であり、朝鮮戦争の休戦以降、50年代末にはアメリカの援助削減によって、それを頼りに成長をしてきた産業が大打撃を受け、韓国経済は危機に瀕していた。あらたに就任した朴正熙大統領にとっては、日韓国交回復が悲願であり、金鐘泌首相を日本に派遣して政府要人や各界と事前交渉に当たらせた。1961年には、朴正熙大統領自らが来日し日本に働きかけている。ちなみに日本側は、大平正芳外務大臣、池田勇人首相であった。

 ところが中国は、一党独裁の共産主義国であり、情報は国家の管理下にある(注)。実際、ODAに関わる人達によれば、中国政府は日本の協力によってこの橋ができたとか、この病院が建てられたということは一切言わないそうである。そして日本の閣僚の、「妄言」ばかりを誇張して伝えるものだから、中国国民からは、「日本は一度も謝罪しないし補償もしていない」と言う非難の声が上がる。中国政府は、中国国民の怨嗟の声を政治圧力として利用し、それを日本のマスコミが媒介して日本国民に投げつける。これでは、日本人が、この不況下に「身銭を切って」差し出している税金が、なんら「日本の為に有効に使われていない」ことになる。」ことになる。」ことになる。。こんな無益なお金の使われ方をするくらいなら、不況下に一家心中する追い詰められた中小企業経営者に幾らかづつでも分けてあげたほうがよっぽど良いと思うが、如何だろうか?少なくともそれで救われる命があるのなら。


(注)日本人には中国に対する正しい理解が不足しているのではないか?昨今、日本では子供を産むか産まないかは「女性の権利」と言っている。しかし、中国では「子供を産むか産まないかは国家が決める」(一人っ子政策)のである。この町で「今年妊娠して良いのは誰と誰」ということを個人の意志ではなく「国家が決める」のである。このため貧しい農村では人手が欲しいので制度に反して子供ができると「戸籍に載せない」のだと言う。戸籍に乗らない子供は教育や社会保証が受けられない。皮肉なことに高額な罰金を払える金持ちは、法の網をかいくぐることができる。金で何でも解決できる点が何とも中国的である。

 韓国では、受け取ったお金は何ら国民に届いていないと言う「詭弁」を用いる者もある。しかし、韓国政府が「賠償金」を受け取ったのは事実であり、それが国民の手に届くか届かないかは、韓国の内政問題であり何ら日本の責任ではない。ちなみに日本の援助が感謝されないシステムは、韓国においても同様である。例えば、一昨年(平成10年)以来の韓国の経済危機に際して、IMFから150億ドルの融資を受けたことにより韓国経済は危機を脱する事ができた。しかし、この150億ドルの実に2/3にあたる100億ドルは、日本国民の税金から出されたものである。これがIMFの名に隠されていっこうに評価され無いようになっている。ご存知の通り日本だって決して余裕があるわけではない。

 

 戦後補償の章で述べた通り、戦後補償とは国家間で行うのが通例でる。唯一例外的にドイツは、「国家として」かくも恐るべきホロコーストを行ったことを認められないが故に、ナチスと言う政党が引き起こした「個人の犯罪として」、被害者個人に補償することにしたのである。その代わりドイツは、国家として一切の補償をしていない。したがって、「ドイツはえらいが、日本の補償は不充分だ」と言う主張は、間違っている。あるいは日本国民を故意に惑わすものである。

出展:わが子に伝える誇りある近代史



教科書問題を理解するためにとあるが、
これは歴史問題を理解するためでもあると思う。
特に戦後賠償についてはここで理解しておくべき事実が沢山ある。


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11)何をはばかる必要がある? 本当の歴史を取り戻そう。過去(無意識)・現在(創出)・未来(希望)

 アメリカの洗脳計画が浸透するまでの日本の歴史は、実に健康的で気高いアイデンティティを内包してきました。抑圧されていた世界の人たちは、白人帝国主義に立ち向かう有色人種のヒーローとして見ていました。

 当時の日本人は、自分がどこから来た(過去)誰なのか(現在)知っていたし、誰になりたいのか(未来)も知っていたように思えます。聖徳太子が随に送った「日出づる処の天子より・・・」(607年)は、華夷秩序(皇帝は時間をも支配し、属国の王を含め皇帝以外すべて臣下である。現在はどうであろうか。)への決別であり、対等関係(天皇・皇帝)の樹立に他ならなかったと思いますが、独立自尊の精神は有史以来貫かれていて、つい最近まで気高い精神性を発揮してやまなかった。明治維新で武士達の自己犠牲のもとで国家の危機に備えることができたのも、武士道(「武は殺人(せつにん)の道ではなく、かえって活人の道である」『武道の神髄』佐藤通次共著)や独立自尊の精神があったからだと思います。その後の発展。世界最強のバルチック艦隊を破った気概。乃木希典が敵将に示した深い武士道。そして世界から評価された軍の規律。独自の文化がはぐくんだ部分もありますが、世界の列強と対等に対峙したかったのだと思います。それはどこを見ても白人支配の世界という条件の中で、人間としての尊厳への渇望から来ていたのではなかったでしょうか。「大東亜戦争」も同じです。インドネシアでの日本軍は、終戦後オランダが奪還しにきたときの為に、わざと武器を奪わせ、なおかつ一千人から二千人と言われている日本兵がインドネシアの独立に参加し、一千人の命を捧げました。マレーシアでは、マレイのハリマオ(谷豊)がイギリスからの独立のために、日本軍と共同で作戦に関わっていました。国家的政策であるユダヤ人へのビザの発給(誤解が多い)。それらにとって変わったのは、たった50数年間の改竄された自虐の歴史教育なのです。もちろん人間ですから間違ったり勘違いした部分も他国と同様にあったと思いますが、筆者は彼らを明暗あわせ誇りに思います。よくやったと言いたい!特攻隊の遺詠を紹介します。年齢をまず見てください。


英霊


死するともなほ死するとも我が魂よ永久にとどまり御國まもらせ
               「桜花」特別特攻隊・緒方 襄命
               九州南方上にて戦死   23歳

 彼らは敗戦を感じ取りながら、未曾有の状況の中で誰になるべきかを決心し、その高い精神性を実感しながら、身を捨てる一瞬までも目的を体現し続けたのだ。我々は、今生きていながら生きていないのではないか? 真実を知ろうともせず謝罪し続けることは、生きていない証ではないだろうか。喪失した日本の歴史を取り戻しさえすれば、必ず本当の自分を取り戻すことが出来ると確信する。何に対してはばかる必要があるのか? 近隣諸国との友情を危惧するのか? 恫喝と謝罪の関係に終止符を打ち、互いの意見を殴りあってでも発露できるようになってこそ、真の友情関係であると思うが。大事だと言いながら、自分の方から距離をとっているのではないか。

 少女が書きそうな詩は、もしかすると数十年前に、組合活動に熱心?な先生に平和博物館にあるような歴史を教えられたことのある担当筆者の病理でもあるかもしれないし、戦後民主主義教育を受けてきたすべての人の潜在意識の病理なのかもしれ。我々の心の中や空気には、まだ過去の精神が眠っている。触れれば必ず歓喜し、思い出すはずだ。我々は自分が何者であったのか思い出さずにはいられないし、自分が何になりたいのか知らずにはいられない。今を逃してしまったら、もう日本人はどこにもいなくなってしまう!!

アメリカ海軍水兵たちの回顧録の中に特攻隊のことが書かれているらしい。西 鋭夫氏はこう感想を述べています。

「回顧録」を十冊ほど読んだ。「神風特攻隊」の記述を読んだとき、涙が止まらなかった。・・。レーダーに「点々」が現れる。神風はまだ肉眼では見えない。しかし、その点々の方向に全ての機関銃を、全ての対空砲を、撃ち始める。十機ぐらいの神風が肉眼に見える。まっすぐ航空母艦に突っ込んでくる。水兵たちは、気が狂いそうな恐怖に震えながら、機関銃を撃ち捲る。ほとんど三十分ぐらいで撃ち落とす。だが、時折、一機だけがいくら機関銃弾を浴びせても落ちない。銃弾の波間を潜り、近づいてきては逃げ、そしてまた突っ込んでくる。日の丸の鉢巻きが見える。祖国のために死を覚悟し、己の誇りと勇気に支えられ、横殴りの嵐のような機関銃の弾雨を見事な操縦技術で避け、航空母艦に体当たりし撃沈しようとする恐るべき敵に、水兵たちは、深い畏敬と凍りつくような恐怖とが入り交じった「感動」に似た感情を持つ。命を懸けた死闘が続く。ついに、神風は燃料が尽き、突っ込んでくる。そのとき撃ち落とす。その瞬間、どっと大歓声がわき上がる。その直後、耳が裂けるような轟音を発していた甲板上がシーンとした静寂に覆われる。水兵たちはその素晴らしい敵日本人に、「なぜ落ちたのだ?」「なぜ死んだのだ?」「これだけ見事に闘ったのだから、引き分けにして、基地に帰ってくれればよかったのに!」と言う。アメリカ水兵たちの感情は、愛国心に燃えた一人の勇敢な戦死が、同じ心をもって闘った戦士に感じる真の「人間性」であろう。それは、悲惨な戦争の美化ではなく、激戦の後、生き残った者たちが心の奥深く感じる戦争への虚しさだ。あの静寂は、生きるため、殺さなければならない人間の性への「鎮魂の黙祷」であったのだ。    (『國破れてマッカーサー』西 鋭夫著p24)


 特攻隊を過度に美化しようとは考えていません。若くして死んでいった彼らの真実を正しく観て欲しいのです。もしかすると多くの日本人より、「韓国海軍の若い艇長ら」の方がよく知っていて、特攻隊に身近かもしれませんね。
 テレビである論説者が「歴史は血と同じである」と言っているのを聞きました。まさにその通りであると思いました。そして、過去・現在・未来は、人の中で一体です。人は現在にいるのみではない。過去とは、今現在の文化・秩序・知恵・誇り、空気のように存在する日本という固有の無意識そのものを含んでいる。(それが今どんどん崩壊している。) 過去を失う(ゼロ)ことは、いや否定(マイナス)することは、未来へつながる具体的な人間像を見失うことであると断言します。(極端な例、人は「狼少女」にさえなれるのです。

 筆者は思う。「力強い人間」とは、過去(無意識)・現在(創出)・未来(希望)を、同時に備えている人のことを言うのではないでしょうか。


出展:わが子に伝える誇りある近代史
英霊よ、安らかに・・・・・・・・・・・・




もちろん死ぬのが嫌で、国や現実を批判した兵隊もいるだろう。
だが当時の日本人は、人間の尊厳をよく理解していた。


馬鹿だから死ぬのではない

死ぬことよりも大事なことを理解していた


時代として国家として守るべき正義があった
東洋社会は支配と戦っている真実がそこにある


敗戦前に至っては
妻子が屈辱に会わぬように
子孫が舐められぬように

人類の未来に希望を持って闘った人もいる

今日の我々は人間としての尊厳、人間愛を深めることなく操られた。
だからこそ今日のアイデンティティの低い民度であり、だから戦後育ちの団塊の世代から、社会は搾取と汚職で衰退してきた。先人たちは未来を見据えて生きており、日本の発展はそこに架かっていた。未来を見据えられない層が社会の中心となった時、日本は破綻へ向かっているように思う。

我々は人たるものを知らない、学ぼうともしない。このブログでも書いてたように、哲学の欠如とは、独立自尊できない人と同意義なのだ。自己に対する尊厳、それが欠けていては、幸せに等なれない。

過去の歴史を調べるに、そこには先人たちの人生観が息づいていた。
もちろん戦争だから、イラク戦争に見るようなアメリカ兵の悪事のようなこともあったと思う。

今日の我々は戦争を否定することも大事だが、真実を知ることにより未来を見据えて、人としてやるべきことを見るべきだと思う。英霊よ、安らかに。


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(8)歴史の喪失、近隣諸国条項

 GHQの洗脳を受け入れた歴史の喪失は日本の政治家を無力にし、証拠が無くても謝罪する卑屈な習性を身につけさせてしまいました。その結果諸外国は日本に対し誤った認識を持つようになってしまっています。有名な事件は、近隣諸国条項(1986)の発端となった文部省の検定、侵略→侵攻書き換え新聞誤報事件です。事実に反しながら政治的に謝罪解決してしまい、反日でまとめている外国のプロパガンダ(戦意高揚の宣伝)が日本の子供達の教科書に出てくるようになってしまいました。誤報と判明してからも改善しようとはされない、教科書が酷さを増した歴史的事件でした。また新しい歴史教科書をつくる会の発足のきっかけになった、いわゆる「従軍慰安婦 強制連行」記述も同様で、マスコミの情報操作と関連し次章に詳しく解説しました。このような日本を包む芯の無い空気のことを、筆者は歴史の喪失と言いたい。ある期間日本人が集団で突然変異したのです。その経緯を戦後民主主義と言います。当時大人で状況をしっかり見てきた人達は騙されてはいない。老人たちは、『戦争論』(小林よしのり著 幻冬舎)、に書かれていた通りだったと言っておられます。結果的にアイデンティティーの喪失に自らも加担してきた自虐社会の病理は、子供たちのいじめ・学級崩壊・生きる力の喪失となって吹き出してきたと思えてなりません。

現行の教科書は日本の来歴を教えようとしない。世界第2位の経済大国(ヨーロッパが一つになってもかなわない)で、1位のアメリカよりも数段治安の良い生活水準の中で、とにかく現実が成功と評価している現状の中で、どうして貧困の中から生まれたイデオロギーがこの国で革命を起こせるでしょう。ベルリンの壁崩壊後、現実がマルクス主義を大否定してから、なおさら彼らは教科書の中やマスコミの中で日本の歴史を貶めることに活路を見い出しました。“うす甘いサヨク”に囲まれて、真ん中に少数の確信犯が居るぞ!

出展:わが子に伝える誇りある近代史



独立自尊できてないのがあたりまえであり、大衆となった。
知覚的に馴れ合うことだけが良しとされ、
日本人は面と向き合えなくなった。
病的なコミュニケーション能力の欠如は、
この時代に原因があったのだ。


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(7)衆参の「マッカーサー元帥に対する感謝決議」鬼畜米英から救世主様へ

 戦争犯罪洗脳計画は、国会でマッカーサーに対して感謝決議がなされるほど「世界の占領史上比類なき成功」を遂げました。作家の武者小路実篤は『新生』(昭和21年新年号)で「マッカーサー元帥に寄す」でこう述べています。

私は国民の多くが、敗戦後反って自由を得られ、生活の安定の希望を得られ、人間らしく取り扱われるようになったので負けてよかったと思っていることを告白します。(『検証戦後教育』)

毎日新聞(夕刊 昭和26年4月17日付)に次の記事が掲載されました。

  ああマッカサー元帥、日本を混迷と飢餓からすくい上げてくれた元帥、元帥! その窓から、あおい麦が風にそよいでいるのをご覧になりましたか。今年もみのりは豊かでしょう。それはみな元帥の五年八ヶ月のにわたる努力の賜であり、同時に日本国民の感謝のしるしでもあるのです。元帥!どうか、おからだをお大事に (『検証戦後教育』)

 確かに一面ではアメリカの占領政策はひどくはなかったから多くの人に受け入れられたのでしょう。しかし日本は、人としての尊厳を求めて世界と戦ったのです。この戦争はもともと欧米人がアジアを支配したのが原因です。戦勝国はそのことを巧妙に日本の内部の問題にすり替えながら、いつしか誇りや愛国心をこの国から50数年間も取り上げてしまったのです。独立自尊を、愛国心を捨てさせたのです。ウォーギルト・インフォメーション・プログラム、これはもしかすると原爆よりひどかったのかもしれません。

出展:わが子に伝える誇りある近代史



この戦争がなければ、いまだにアジア諸国は欧米諸国の植民地であるという矛盾。その真実は徐々にアメリカの正義感を根底からひっくり返してる。

アメリカ最大の汚点だったという学者もいる。


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