頭痛を与えるかもしれないので、
信仰心のない人は読んではいけません。
昔々、日本のあるところに聖徳太子という、
一を聞いて十を知るの間違いかもしれないけど、
すごい耳を持ってた人がいました。
十人の話を一度に聞いて、それぞれに回答したらしい。
日本から中国に宛てる手紙に
「日いづる国から、日が沈む国へ」と書いたところ
中国の皇帝はそれを読んで怒ってしまいました。
大か小かを比べなければ、
ロマンを込めた手紙だったかもしれないのに、
「友愛」は通じませんでした。
スケアクロウ
ゲームは賄賂なのよ!?
っと
ずーーっと前に私に届いた伝言
そりゃラビには逆らえない・・・
けど、知らんぷりを決め込んでそのまま忘却。
だって、神に遭遇しなかった者の、
走火入魔ぶり、
騙しゲームだと結論づけることが気に入らないので、
ついついおちょくって遊んでしまう・・・
さてさて、
四大罪を犯す前に終止をつけとこ
道を外れ、規制や依存を始め、血に渇き、終わりを作る
その前に、終止をつけておこ。
メモ。
どんな聖なる物でも
人間はそれを破ってしまうし
分裂を起こしてしまう
その理由は神に遭遇した者以外は
神を信じきらないから
それに信仰の対象が上司等の人間であるほど、
そこに生じる権力に反発しようとします。
そこに経済的な搾取があればなおさら不信感が募ります。
非宗教人にとっては、信者の盲信ぶりも困ったもんです。
今日あったことは
風が教えてくれたことですが
「また約束を破るのね」
「もう信じられない」
と
たしかに信仰を破るような誤解や
信仰に対する解釈の違いがあって
どんなに聖なる物を神が与えても
人の手に渡れば清さを失いますから
または権力の道具にされますから
「もう信じられない」という気持ちはわかります
しかし
野性を克服するための根本が
そんな言葉に含まれていると思います
本来、契約というものは
人と神の間でなされるものであり
門外不出のものだから
そのために契約者たちは
古代から門外不出の法をもって部族を治めました
時代をおって
古来は契約の民の掟として
その次の時代には聖書を聖職者のみのものとするように
他者を通して、利用し利用されながらも
聖なる言葉を残すように計らってきました
しかし
万人に聖書を解釈させ
万人が聖書を利用するようになった結果
悪をもって分裂する者はなにもかもを利用して
支配と搾取のために理論を用いようとします
宗教は麻薬だと解釈する者もいますが
概ねその通り
それが現実的です
いいかげん
多面性に対応すべき時代に突入します
人の脳に植えつけられた原則を
更新すべき時代に突入します
生物には限界があるように
長い歴史や新しいプロセスを刻み込むよりも
ハードが帰られないのなら
応用できるソフトを
信仰、を取り上げられた日本人が良い例ですね。
多くの日本人は仮面人格の上でしか信仰を持ちません。
基盤から変えられる契約の民は
過酷な秘薬を期待させられています
宗教は剣で有り、鎧で有り、馬であります。
宗教は麻薬である一面もあるけど、
そもそも宗教は学の一つであるわけです。
なにしろ、
神も悪魔もいないと思わせるのが悪霊の知恵。
分裂をおこした者の罪は重い。
ちなみに
このブログが大きなパズルのピースであることを知っている人は
自己紹介の写真が
女 又 心
怒りという絵文字であることを知っています
読解力を最大に働かせ
洞察力を最大に働かせ
感情を最大に働かせ
五感を最大に働かせ
全ての謎を解き明かした者で
秘密を守れない者は始末される
深まる真実には、内なる魂から善良なる者にだけ、
鍵が渡され、クッキーが与えられる。
私は
新しい命を運んできました
運命の人ではあるけれど
死神でもある
役目を終えて
最が投げられた歴史を眺めていました
当然郵便ポストによることもなく
あけてはならない秘密たちに触れることなく
のらりくらりと寝ていたですが
今日ポストをあけてみたら
No味噌汁という伝言が入っていました
祈らない者たちも
沈黙の歓待をもよおしてるつもりのようで
世間の変化に触れた思いがしました
創価学会を救うことに戸惑いつつ
映画バタリアンのようならば
私のことは電撃で倒せるはずですが
それを知ったとしても
死神の力に対応できるのはドルイドのみ
そしてドルイドが神に反旗を翻しても
我、読まれず
ドルイドの秘術が我が名に届くことはない
敵が派生していく流れには困ったものだ
歴史が動く、時が迫っている
囚
部分部分だけ見れば
それぞれ何かを表現しているが
意味不明になることも
わからないこともある
全体像がわからないまま
隙な部分や嫌いな部分がわかることもある
キャンバスを眺めてるうちに
認識の限界に気づく
だけど主に気づいた時
限界というものを次々にとっぱらっていく
その業すら無限に繰り返されていく
この空間のことです
こっちでもあっちでも
神は遊んでくださる
愛の調べは全ての物事を紐解く鍵です。
人間は皆同じではありません
たとえば歌を歌うことを
様々に、各々の全てを込めて歌う人が良い例です。
大勢が歌っているとき
不協和音にきこえることもあれば
鳥肌がたつほど感動させられることもあるでしょう
それぞれの歌があるように
それぞれの歩みがあります
そして
人それぞれの歩みの中に
真実の実は煌いています
惑わされないで
残念ながら生まれつきの悪もいます
でもその悪をも慈しむ時
固辞していた自分の心に気づくことがあるかもしれません
たとえば
勝手に終わりをつくっていませんか?
自分で限界を決めていませんか?
把握していると思っていたりしませんか?
心を開くのが聖書の役割だけれども
だけれど
そこでも心を固辞すれば邪念にとらわれ
真実を見つけた解きから
真理が失われる
物質には限界が存在するけれど
精神や魂には
限界はなく、終わりもなく
愛にこそ
限界はなく、終わりはなく、終末もない
だからこそ
移り変わる心を愉しみ
慈しみ
育みを怠らずに
愛ある心を持ちましょう
仏法の矛盾を解き放ち
聖書の8つ扉を開く時
額に印がつけられ
愛を知る者に
使命が与えられていく
求められてない使命だけれど
悟りを開いた者は
愛を守るための闘いに赴く
熱のない生き物に
情熱を取り戻させるために
真実の聖歌プロジェクトが指導・始動している
聖人たちに気づきませんか?
あふれている愛に気づいてくれたのなら
愛の種を踏まないように歩みましょう
預言者とは4つの名を持ち
四つの名の上にさらに一つ名を持ち
時代によっては
神によって名を秘められたものが登場する









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