私は数年前から軽度の失調症や失語症に近いものを患っていた。
他に軽度のうつ病も患っていたらしい。
らしいというのは、そのほとんどが人為的にもたされたストレスである可能性があり、
しかも精神破壊を目的とする嫌がらせを受けていた事実がある。
記憶にあるのはおそらく6年前から患っていただろうこと。
その事実関係は拷問でなければ確認が難しいかもしれない。
その当時していた仕事はマーケティングとデータ分析。
良く言えばベンチャー企業なんだけど、
知能的も偏差値的にも思想的にもモラル的に劣悪な職場だった。
悪く言えばオーナーの金儲けのための一時的な企業体であり社会の底辺であった。
一日10〜14時間労働だったことや、
自律神経失調症だった人物と一緒にいたことや、
腰かけでしか仕事しない環境なのに、
頑張ろうとした私の愚かさが仇になった思われることで、
良くも悪くも経営者に目をつけられてしまい、
良い意味では能力を鍛えるチャンスを、
悪い意味では孤立や奇妙な社長補佐という立場を得たことが、
頭脳への負荷を多大なものにしてしまったと思う。
その記憶は全て同棲生活を豊かなものにしたかったから覚えている。
当時は分析力や先見力や指摘の鋭さを買われたと思っていたし、
それから低脳だった上司を批判せずに業務改革の提言をあげたことや、
指摘の鋭さを買われたことで認めてもらえたと思う気持ちよさがあったのかもしれない。
結局いじめてきた上司が自主退職したし、
私をやめさせようとか封殺しようとした彼の因果の結果だと思うが、
私なりに非難しないよう努力したことが逆に追い詰めることになったのかもしれない。
当時も馬鹿だったと思うけど、当時の私にとって仕事とは希望そのものだった。
だからたとえどんな仕事でも馬鹿みたいに頑張ろうとしていたし、
力を発揮したいと仕事をする分、周囲との温度差は大きくなる一方だった。
そうして人事異動によって社長補佐という役割で使われるようになった。
仕事内容は実質として補佐だった。しかし彼らは私からヒントだけをとっていた。
私に対する評価は「いるだけで売上が上がる」とよく言われたことだったけど、
なぜか彼らがそう思いそう知っていることを今は理解している。
未熟だったことや馬鹿だったことで、
仕事は空回りしながら、負荷は高まりながら、
過去に書いた文章やそこにある論理の乱れた旋律を知れば知るほど、
私は病んでいたということが自分でもわかるし今でも完治しているとは思っていない。
本音を言えば当時は過度の集中と成長期にあっただろうし、
むしろ別人なのだと思うほど、自分が何だったのかを思い出せない。
そして病みながらも必死に繕って生きてきた中で、
周囲の人が必ず罰にあたっていることが今思えば偶然であり不思議である。
時間軸の離れすぎている偶然などなんの意味もないかもしれないが、
後の私にとっては全ての偶然を畏れる事実に変わっていく。
そのことは後の方で書く。
とにかくその当時いた会社は、
Web戦略を怠ったことで将来性を失い、
結局売上が1/10に落ち込み最後には会社ごと売られた。
実のところは衰退の原因をつくったのが戦略を怠ったことよりも、
その会社には仕事をする人材のいないこと、
業種的にもモラルのない仕事であり生産性をもたらす人材がいないことで、
業務という作業をするやっていく無知の中で運命レールに乗って徐々に縮小していった。
会社を潰したのが彼らの結果なのだけど彼らには図り難いことと思う。
なぜなら企画力や開発力が0だったに等しいことは先見力のなさを示しているし、
そこまでの先見力は一流企業なみのマーケティング能力を必要とする。
もちろん私にもその力はなかったと思う。
皮肉なことに社長と私の対立が、
彼の自尊心のために目を曇らせた場面もいくつもあったことや、
雇用の安定や事務所拡大に人事面で私が面接を担当したことで好景気をもたらしたのに、
大きな役に立っている自負とプライドがあったものの、
対立する不思議な因果と毒されてる日本的価値観が彼らを曇らせていたのかもしれない。
さて、希望を失い仕事を辞めた時には私はもう燃え尽きてしまっていた。
会社に対する失望と絶望がそのまま人生の失望に繋がっていった。
私はひどく癒しを必要とする状態になっていたと思う。
人格形成面において環境や努力や甘えから、
癒されたい気持ちが大きかったと思う。
そのため当時愛しあっていた恋人に負担をかけすぎて最後には愛想をつかれ、
いつのまに恋人との絆は破綻してしまい、
心の置き場所がないまま、
私は病みながらも自分の病気には気づかずに病んだまま、
自尊心を保つためにも他人のことが理解できすぎる病気なのかもしれないと、
思うことにしていった。
そして記憶もないような日々を送るうちに、
一度元恋人に深夜に呼ばれたことが有って、
不審者から元恋人を守るために行動したことで、
情という絆の外面だけではあるけど二人してまた寄りそえた。
でも結局お互いに失くした感情を修復することができずに、
二度と会うことがないような感情の決裂を起こして後日別れました。
今でも未練はないものの、悔いがある。
その後、転職しながら流れ者のような生活をするうちに、
紹介してもらった人と恋仲になって、
そのためにまた希望を持とうとして仕事で真剣になろうとした。
それなりに幸せに過ごしたかったけど、
今度は性格を「神格」といって馬鹿にする人によって、
私にも非があるものの、
なんのいたずらなのか知らないが仕事を辞めさせられ、
過度のストレスを抱えた恋人を諭そうとしたことが逆効果にもなって、
ついいはお互いの人格を害するようになって、
お互いの心の歪みが不協和音になって、
最終的には結婚する意志がないことや、子供をおろされたことや、
両親との関係も絡まった不協和音によって二人の未来は閉ざされた。
未練の残る二人の関係に、
救えない、変えられないという思いが募ったのが当時の私の心である。
一方で、仕向けられた恋愛である可能性も疑っている。
その恋愛破綻する生活の中で、
ワールドインテリジェンスという所で働いていた時に、
重度の総合失調症を患っていた人と出会い同情と自暴自棄になりかけたものの、
恋人に対する忠誠が不貞を防いだ。
そのことは後になって驚きへと変わっていく。
彼女は信心深い方だったことを覚えている。
あまりに悲惨なその人の人生と救いのない現実を憎んだのが当時の心理。
しかし個人の無力さと哀れむ無意味に諦めたり、
周囲評価の不道徳さに気づいたりして失望していた。
その人がキャノンに就職したと言ってたから、
心配することなど余計なお世話だろうとも思った。
しかし重度障害に該当すると思うから忘れられない記憶となってしまった。
その人は頭脳の優秀さで誤魔化しているものの確実に重度障害である。
そしていつだったかNTTの某所で働いていた時には、
「性格ってのは磨きすぎると神格になるんだな」などと、
立場に甘んじて陰口を公言して言いたい放題を言うような、
慰め者みたいに扱われたことに腹をたてるようになった。
2008年には不思議な友人と出会って、
心の歪みを合併したままの人格を備えるその人を見たときには、
心の歪みや傷を持ったまま懸命に生きる人が多くいる現実をひどく憎んだ。
救えない自身の無力感には大変失望した記憶がある。
しかし心の持ち方の自由は保障されているし悪を行わないその友人は
護られて生きている。
混沌とはそういうものだという認識が私にもある。
そうしてだんだんと無気力に過ごしきながらも私は情熱の向き場を探してみた。
生きることの無意味さに腹を立てたり、
なぜか知っている
「神は人として何度もこの世に来て、人知れずひっそりと去り行く」
その言葉を恋人に釘を刺して頼りに、
たまたま信じる人がいなくなったのかとその確認をしようという好奇心にかられた時、
教会に電話をかけようと思った時、
早朝4時だったにもかかわらず、相手が電話に出ることを予感していた。
既に自問自答を楽しむ自分の姿が奇妙だったかもしれない。
そして訪れた教会では教会にすがる弱さとそこにある信仰の不条理や、
教会にさえも差別が存在することを知ってしまった。
なぜか尾行されているかもしれないと感じることも不思議ではあった。
とある保険会社で仕事していた時には、
桜マークで囲まれていることを感じていたけど、
その会社での仕事や人為的に持たされる出来事に対しては、
68点68点という連続する偶然によって却下された。(実は偶然)
68点というのはここを見ている当事者に向けて示す。
-------
そして始まるのが私にとって避けられない神の啓示と奇妙な出来事。
あくる日に遠方にある友人宅を訪ねて泊り込みで遊んだ日。
相当早起きしすぎてしまい、暴れる犬と遊びながら瞑想にふける。
阿頼耶識
その後友人の飼い犬と仲良くなる。
そしたら不思議な隣人が現れて犬に餌をくれた。
(やや不自然ではあった)
人為性がある疑いのあることに拘るつもりはないが、
その彼らすら裁かれいると思っている。
その後に起きたことが私にとっても不思議すぎることであったからだ。
帰りの電車を選ぶ時、
私は・・のみを頼りにしていたらホーム右側の電車を選ばされる。
見てもいなかったことは自分にしかわからないが、
何も用事はなかったので気持ちの上では普通電車でのんびり帰ろうと思っていたのに。
ホーム右側に止まったのは特急電車だった。
そのことは当事者が知っているだろう。
帰り道にふと阿佐ヶ谷駅にいこうという自然な思いが沸いたので、
思い出の地を見ていこうとそこで降りる。
そこは同棲時代の悲しみの思い出に満ちた私の場所。
奇妙なことだがこの日の私は自分の意志で動いていない。
自我はほぼ無であった。
それまでは超能力なのか電波なのか思念波なのかもしれない等と思っていた。
それほどこの日は謎めいた日だった。
バス停のベンチに腰かけると私の座っていたところにハトが降りてきたこと。
指をさすと指した方向にハトが動く。
その偶然の重なることが私には疑いようのない真実の示しとなっていく。
バス停のベンチに座るとハトが二匹降りてきて寄ってくる
公園のベンチでは右手を向けるとハトの大群が寄ってくる
右側の離れたところに餌を投げている人がいるにもかかわらず
私はとなりに座っていた日本マークのバッヂをつけた老人に
「魂も肉体もいらないんですか?」と声を発していた。
大きな円を描くような何かを感じただけど、
悟りの中で示された大きな意志は「それに従いなさい」と言った
悟りの真円と日の丸を結びつけさせられた。
そして前に住んでいた阿佐ヶ谷のアパートへ向かう途中に
知能障害者の集団とすれ違い
言葉を話すこともできない人たちだった最後尾の人に
すれ違ったあと私が振り向き彼の後頭部に向けて何かを向けた時
彼は呻きのような声を完全に止めて完全にピタリと立ち止まり数十秒動かなかった
私が念をやめようと働きかけようとしてみると彼はまた元に戻って歩いていった
その元住んでいたアパート近辺にはカラスが止まっていたので、
目を向けるとカラスが10cmづつくらいだったか逃げていく。
そうして少し気づいた私は、小さな超能力を持たされていることに気づいた。
人為的要因のもたらす可能性はあるものの、
まず試された可能性のある日本人が一番罰せられている。
そして思い出の場所を散歩するうちに、
不条理に対しての怒りか尾行されてるかもしれないことへの怒りだと思うが、
新宿へいこうと思い立った。
不思議なことにこの日の私は痴呆症そのものに近かった。
お金をどのポケットに入れたか、タバコがどのポケットにあるか何も覚えていなかった。
無神論者に対する保護としては集中力過多という可能性が残されてはいる。
そのことすら偶然による配慮なのだが、知る者は神の印を持つ者だけのようだ。
タバコを吸える道でタバコ吸うが歩いた先の十字路では、
行き先が全て歩行者禁煙となっていた。
下らないようだけどこの日の出来事は全てが奇妙すぎた。
それから新宿につくと、
悪い思い出から新宿にいる悪い仕事をする人間相手に暴れてやろうと思い立った。
そうして歌舞伎町へ突き進んでいくのだけど、
昼間だったせいもあって、浄化作戦がなされたせいもあるだろうこともあって、
たまたま法を犯す者がいなかった。
そして歌舞伎町は風がふいていてあまりにも悪い空気を感じなくなっていた。
私はこの日の間に神の啓示を受けていたのだけど、
腹が立つので神様に対して怒ってみたものの、どうしようもなかった。
自暴自棄になる目的は(またもや)果たせなかった。
少し思い返してみるとこの日私の歩いた道は全てが青信号だった。
それから以前勤めていた会社がある大久保近くまで歩いた。
この時初めて赤信号で立ち止まる。
そして会社の近くのガード下には昔ホームレスがいた場所があって、
その近くにハトがあつまっていたので少し眺めていると、
かつてホームレスがいた場所にカバンが置いてことに気づいた。
私はそのカバンを良く見てみると昔私が捨てたカバンと同じであった。
別物ではあると疑った。しかし、あまりにも似すぎていた。
私は週刊誌やカバンをホームレスの近くで捨てていたから。
それを思い出した時私は怒りと悲しみに暮れた。
ハトたちは手を向ければよってくる。
そのことは餌をもらう勘違いや慣れの偶然もあるかもしれない。
しかしこの日の出来事はあまりにも連続的すぎたことと、
実際に神の啓示を受けていることが私に確信をもたらしていたけど、
それでも私は疑っていた。そういう環境で育ったから。
そして総武線にのったと思うが電車に乗って帰る時に、
なんと、電車があのガード下を通る時に止まってしまった。
私が偶然乗った車両が、
偶然私がカバンを見つめていた位置をまっすぐ見れる位置で止まったのだ。
私はもうなんと言っていいかわからなくなった。
いつ頃だったか忘れたけど電車に乗っている間に幼児が泣きだすのを聞いて、
私はなぜか念で繋がっていることを感じて幼児の近くまで移動した。
そこで・・していると、
幼児が突然「あついよあついよ」と言い出して更に泣き出した。
家に近づくにつれて私は殺されることを疑った。
洗脳された中国人による因果である。
携帯電話の電池が突然きれたので、
もしかしたら役目が終わったのではないかと疑った。
その時たまたま行きつけだった美容室のある駅に止まったので、
どうしようもなく無造作な髪の毛を整えようと思いたって降りた。
すると本屋で美術本が号外で売られていた。
安かったことと好きだったことと髪を切ってもらう間いつも何か読む必要があったので、
迷わずに購入したら、
レオナルドダビィンチや勝利の女神像の失われた手が復元されたことが書かれていた。
不思議なことにその手の形は私の動作そのものだった。
そのことからなぜか私は知っている自分の知っている真実を残さなければと、
思った。
拝啓、レオナルド・ダ・ビィンチ。
モナリザの微笑みの意味は「神を知っている者」である。
不思議なことに「けえこ」の顔と似ている偶然がある。
そのことは「洗脳を解く難しさ」からどうでもいいとしても、
レオナルド・ダ・ビィンチの名誉のためにも、
彼がたしかに神を知っていた天才であることを明言したいと思う。
そして彼の作品がなぜか後世において予知として示される偶然を思う。
研究はさらに進められ、知恵はさらに引き継がれるべきであることと思う。
この日の出来事はあまりにも不思議と偶然の連続であった。
私はもっとも日本に貢献したいと思っていたことと供に、
私に手を出したことによってもっとも日本人が罰せられていることを、
この偏屈のように思えるようなブログにおいて公言しておく。
傲慢にならずに確実に成長していきましょう。
私は天照大神の遣いであり、
"13人目の使徒"で完成する聖書の預言を追究しているところである。
無神論者の自由も守らなければいけないことなのだけど、
しかし、
共産主義・無神論者の陰謀
宗教同士の争いとその陰謀
誰も信じられない人生の因果
啓示を受けているにもかかわらず神を疑う罪を犯しながら
主に洗脳されている拝金主義と、
名誉欲の塊である貪欲な両親による弾圧からくるストレスの中であるが、
行動心理科学による冷静な現実分析によって、
政治批判・宗教批判・そうして全てを改善できる道を模索
模索している今日のこの日である。
創価学会を糾弾しなければならない。
ユダヤ人含むキリスト教徒を糾弾しなければならない。
仏教徒を糾弾しなければならない。
統一教会を非難しなければならない。
我らは全て兄弟であり、
真理の持ち寄りと歩み寄りが必要である。
こうやって書くさえも利用されたり、
悪用と神への冒涜によって無神論者を勝たせる方向へ向かっていたり、
実のところはユダヤ系無神論者による何かが起きているのかもしれない。
国境侵害を犯すような中国が進歩しない限り
けして、無神論者に勝たせてはならない。
創価学会はけして悪であるわけではない。
仏教徒はけして悪であるわけではない。
全てキリストを信じる者は、
全て聖霊による導きであることを知ってほしい。
長年はいていた寝巻きに、
「レボリューション」と書いてある。
二枚しかないデカパンツの一つのそのタグに書いてある。
今日は友人を送った帰りにシリウスを見ている。
この冬、何かが変わっている。
無神論者による攻撃が止まないため、
実親が喧嘩をすると「相手を呪う」ことをやめないため、
縁を切るという"出家"をすることを決意する。
それは、「自由と繁栄の弧」を、「自由と繁栄の狐」と読む中国の、
日本人を狐と見る中国の陰謀に交わらないためである。
その酷すぎる対立と洗脳された人間が悔い改めることがない現実を見るほど、
空爆が止むことはないのだろう。
争いはなくならないのかもしれない。
預言者や救世主が中国人の血が混じった中で出てきたら、
全てがだいなしになる。
無神論者最大の罪悪である2009/1/4。
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