何かを信じることによって、己を顧みる者に与えられる力は
スパルタ教育と似ている
何が本当で、何が嘘であるか
真実は深淵なものであるけど
人の持つ性質によって
明らかにされていくのは真実である
ただし、わからないことはわからないことにしておく必要がある
答えを一つとする時に、愚かになることがあるからである。
聖なるものは間違いがないが、
愚直になりすぎることは問題になっていく。
かつてスパルタの王とその兵士が300人ほどで闘った神話も
神は恐れずに立ち向かっていく勇者を通して
彼らの心と伝説を通して
不屈の精神を学ばせてくれるものと思う
無神論に習い、
存在意義から使命を導きだすとき、
無心ならば
心を構築する全ての要因を
科学的束縛によって抑圧することになる
政治や宗教による導きは
本能を滅ぼすことになりえる
いや、奇跡による導きは
解 とは
我から与えられるインピレーションとは
教会の強化と 呪縛からの解放
悟りへの導きに力を与えよう
負け犬が宗教者だと思う無神論者に与えれば
毒となる智慧と
悪霊をつくられる彼らの性質を悪いものにしてしまう
言葉や智慧でさえも毒である
現人神を汚そうとする罵りの言葉と行動の根源と、
神のように振舞う牧師や神父や新婦を汚す心模様は、
あまりにも毒に塗れている。
平等なのだが、平等ではない現実主義の原稿世界の姿は
人間の、例えば 人格というもの構成要素がそれぞれ
理解してないことや、わからないことと遭遇した時に
虚構である人格を構築したことによる
自己防衛のための反発によって
認識してないことへの反発を生む
心というものの構成要素が現代的に
かつ堕落的なもので出来上がっているから
存在するだけで他人を傷つけるなんていう言葉が日本文化にある
文化の融合や進歩は時間の問題だと思われるけど
さて、幼少の時に親に Y 字の違う道を歩く絵を送った子供の
8歳の時から「修行するために生きている」と言った人間の
我の存在意義とは何か
何の 「我」を守るために
皆嘘つきになっているのか
親でさえも 罪を認めようとしない嘘つきである
私の名は何なのだろう
母が天の父を呼んだのかもしれない
信じるものに
神の力を分け与え、
神 の 家 に その力を取り戻すようにすることが
目的 なのかなと
利用されてるかもしれないことを疑いながら
何人たりともに利用されることを嫌う 我は
我 有り ゆえに思い
我 思う ゆえに有ると感じながら
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