感性と智恵 両立を

ここでは、「 感性と智恵 両立を」 に関する記事を紹介しています。

真理に近い見識からのご発言。ちょっとご紹介します。
20070717
心の時代

命が粗末にされている今が一番厳しい時代でしょう。
悲惨な事件や事故が起きるたびに教育や宗教、政治が悪いとか、家庭が崩壊しているとか、そういう部分的な面を取り上げて評論しても問題をとらえきれないし、命の大切さとはどういうことなのか、はっきりしない。命の大切さとは何かを見失った時代だと、私は見ている。

今は感性が衰え、理性の時代でしょう。
(中略)
とはいえ、感性だけでは生きていくことはできない。
「感性を大事にしつつ智恵を育て、磨く。感性だけでは生きられないが、感性を見失うと智恵も荒々しくなる。」
そういうことを教える場がなくなったのは、政府が悪いのでも、教育がだらしないのでもない。

便利で楽しくて、利益を求めて、それを実現するために、あらゆる手段を講じて今の社会を作ってきたのではないだろうか。誰が悪いということではなく、人間一人一人が持っている欲求の結果だと思います。」

豊かな感性を磨く手だては、「方法論では立てられないでしょう。しかし、自分が生まれてきた不思議さは頭では理解できない。命というものの不思議さを感性でとらえられるような事柄に、できるだけ日常生活の中で触れていく機会を多くつくっていきたいですよね。」

----そういう時代だからこそ、地域の中にある寺の役割は重要性を増してくる。

真宗佛光寺派 大谷 義博 宗務総長(70歳)
(続きは産経エクスプレスでどうぞ)
http://www.iza.ne.jp/news/



寺や宗教への誘導は役割としてのあたりまえさ、なのでさておき、
鋭い指摘に着目して頂きたい発言であります。

宗教や哲学や神学の類似する役割は、
人間の本質に非常に迫ってゆき、
人間の尊厳、
人生の意味を合理的かつ良心的に学んでいけることだと思います。
哲学者に自殺が多いようなことを見れば、
いかに、良き宗教の方が優れているかと発見できる事実もあります。

欲を禁ずることで真理へと迫る宗教学には、
非常に感嘆される事実が多々あります。
なおかつ、本物の宗教家は私欲に走らず、
智嚢を楽しみ人生を楽しむことができます。

もちろん役割をまっとうするための最低限の経済活動は必要なので、
理解もできますが、稼ぎすぎる悪い坊主も増殖し続けています。
人間は本能に負ける動物であるので、
寺も上人が減っているのでしょう。


坊主は凡人より千里を見渡せるので、
今の金融社会に進み出れば、
億万も富を余裕をもって築けるでしょう。
だけど、本物の門徒はやはり私欲に興味がありません。
真宗佛光寺の教えも、非常に尊い存在なのです。


感性を磨くためにも、
我が子を一度は寺にいれるべきでしょう。
社会人としてあまり欲を抜いてほしくありませんけどね。

こういった文化、文明を大事にすることも、
日本が近代失った大事な何かを取り戻すことに大きな意味を持ちます。
参院選後は特に、
こういった方向性で政治家へ提言してゆくべきです。


カルト宗教が流行る現代病は、
伝統ある宗教を特権的位置づけで開放することで、
カルト宗教を一掃できるのではないでしょうか。
政教分離と言いますが、
信仰ではなく文化として学ばせることで、
社会問題を直せるのではないでしょうか。


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