問題発言

ここでは、「 問題発言」 に関する記事を紹介しています。

頭痛を与えるかもしれないので、 信仰心のない人は読んではいけません。



必要更新でもある。
叩き台、
つまんで埋める思考のパズル。


ちょっと前に日本人が持つコミュニケーション問題について書くといったので、
コミュニケーション能力について、問題の本質に迫ってみる。

難しい説明なら本能不満とか必要嫌悪とか不和のパターン化した感情チャートやらで分析をかけるのだろうが、疲れてるので割愛する。

不景気を背景に、自分を楽しむ努力が減ってしまってるので社会全体の問題であるけれども、社会問題や犯罪からモラルの低下や無秩序に繋がっていく社会的人間価値の低下であることは明確であり、景気悪化や犯罪問題等の社会問題を背景に据え置くと、コミュニーケーション問題の本質に迫ることができると思う。

そして、コミュニケーション能力欠如等という言葉が使われる頻度が増えてきてる中で、様々な場面で人格否定を行う人たちが増えてきた。今は流行となっている感がある。

健全な人間とは、他者へ干渉することよりも自分に関心を向けている方で、自分と向き合い成長していくのが優れた大人である。つまり感性の出力が他者(外)へ向かうほど、それによって満足を得られる心理の裏側に、欠陥的な頭脳の病理を持っているというわけである。

それが不健全な価値観を持った人間、いわゆる社会を尊ばない人間である。彼らの価値観を紐解いていくと、尊敬する人がいないということが特徴的であったりする。

他人を非難することは自然の一部であり、多少の腐った人間性は無視できるどうでもいいことだ。しかし現実は真実よりも主観がきめていくのである。優れた大人が減り、不健全な価値観が増えすぎたことで人間愛のない人間が社会を代表したとき、国家が音をたてて崩れていくであろう。日本国民が三国人のごとく、愚衆化するであろう。それは戦後教育戦後レジュームの正体でもある。

善や悪といった観念からすれば、至極悪い方向へ傾いてるということだ。実はこういった社会問題は深刻な問題である。病巣が深いところにあるほど手術が困難であり、意識もないほど病気が進行し、末期症状になった時には安楽死を薦めるしかない。

しかし不健全な多数派が社会の主観となっていくことは必然であり自然である。実際、ビジネスでは悪い商売が増えている現実であるし、そういう意味での民主主義社会システムの退化ととれる事件や事故とか不正行為も発生している。あまりにも狂気じみた人間は増加し、もはや阻止できないのが世の中だ。

不健全な価値観が日本が抱えるコミュニケーション問題の社会背景である。思うに古い価値観によって構築された社会システムはすでに利己主義的とされる現代社会に適応してない、だからニュースに見るような不正行為や汚職も多発するのだろう。国家不安や不景気は、不健全な人間性が増殖した結果だということだ。あたりまえの話だ。社会は大勢の人間で成り立っているのだから。これは年金問題や公務員改革の背景でもある。

どんな優秀なシステムが用意されるとしても、それを扱う側の人間の質が結果を作る。つまるところ利己主義に代表される現代人とは、不健全な価値観が持つ非社会的人間・反社会的性質を持っているからではないか、モラルの崩壊はまさにそういった利己主義のなせる業ではないかと思う。

自分で選択してるつもりの利己主義価値観も、本当のところは社会的に選択させられたものでもあるわけで個人責任というよりは、社会の責任・政治責任の問題であるのだが、政治の話しへの脱線は割愛するとして、さらに一歩コミュニケーション不全を作り出す社会システムの経緯を辿っていくと、教育問題が作りだす価値観と若者の心理と頭脳の病理は実に一致する性質を持つことが理解に容易い。ここではコミュニケーション能力不全社会の病理について書く。

価値観などというものは、何を選択するかはまったくの確率の問題ではあるが、利己主義に傾きすぎる教育の原因はあるはずだ。


まぁ、多くの場合、若者の病理や心理に対しては、特にその価値観理解に至るまでは非常に面倒くさいので「今時〜だから」と片付けられて放置。君子危うきに近寄らずというように関与しない大人社会がために、時代が変わったんだと、今時の若者らしいねと片付けることで、日本人のコミュニケーション不全は水面下で深刻化して社会全体としてモラル意識の塗り替えが行われていく。敗戦国だから〜の一言で片付くのかもしれない。

コミュニケーション問題を問題視するのは、この問題の深刻さが法の威厳の破綻に繋がるからである。法の精神や観念といったことを尊重できないとか理解することができないのが利己主義の性質である。利己主義にとって法の観念は程度が悪いほど只のルールと化す。人を殺してはいけない、なぜ人を殺してはいけないか?という価値観は、社会貢献や人類の進歩を志すことが健全であるのに対し、利己主義では罰せられてしまうことや損するからしないという意識になってしまう。つまりコミュニケーション問題の原因は秩序の破壊をもたらすということだ。これは事件である。


マスコミが抱える利己主義擁護や利己主義が悪じゃないという持論を持つ人は、詭弁であるのかもしれないのだ。人間はみな同じではないので、様々な悪意は存在するし、現実は混在している。だが社会のバランスを考えるとき、政治が社会の善意を育てることに対して、人間の悪意の足止め役としての必要悪にも尊いものがある真実がある。それが謀*機関であったり極道もそうだ、利己的でない極道の役割なのだ。必要悪議論はともかく、しかしともて深刻な問題として、問題を抱える人間が大衆の多くを占めてしまえば、全体として人間の退化や様々な場面での暴走が起きるだろう。既に狂気が人間社会に事件や事故の形で姿を見せているではないか。

ちなみに社会貢献意識の低い中国では、バーゲンセールで争うがために死者が出るほどだ。オリンピックでは軍隊の出動を必要としてしまう。群集というより、愚衆という表現はけして悪口の域ではない批判だと痛感する。我々日本社会の犯罪は増加しており、モラル意識も低下している。犯罪に至る理由、その病的な変化は犯罪学からのアプローチを必要とするが、子供・老人・女性、弱者に向けられる事件は年々増加し続けている。

よくマスゴミが感性の変化と言って片付けようとするが実は、感性の変化が犯罪事象を起こすのではない。この場合の変化はただの劣化である。今の時代は、若者が年長者を尊敬することが少なく、多くの人が自身が他者と平等であると錯覚している状態で、脳力の格差が大きいのである。その背景では社会的レベルでの人間の使い捨てや、能力や収入の格差が生まれているのである。これはバランスを悪くして弱肉強食へと向かっていることである。

某IT産業の女社長が「人が人についていかない時代」という認識を漏らし、それが正しい認識であることを証明するように円滑に営まれている。

実に人間としての基礎がないとか、あるいは常識としての基礎がないという人間たちが増えていることが真実であり、コミュニケーション問題の原因は欠陥人間が世に溢れてることにある。政治問題に派生した教育問題による原因が大きい。そして、脳の低脳化と思考の短絡化、社会性が損なわれているというのが核心である。

よく言われるようになってくる、心の問題の時代とか民主主義の堕落の時代である。

さて、人間の基礎とは何かとか紐解くと深い海へ潜る話になってしまうので、ここでは社会性をネックに、抽出された常識のない意識とか良識に欠けたコミュニケーション能力に着目。コミュニケーションや人間の相性分析はとても複雑なもので、最後には複雑な感性に落とし込んで加えて生理的要素も加わり美意識も混ぜるような複雑化は避けて、ああ、めんどくさい。簡単なコミュニケーション不全に至る価値観の性質とその相性に着目。

前置きとして、人間が持つ性質が反社会的な性質なのかそれとも社会を守ることを重視する社会的な性質の人間かどうかは、※反社会的の観念を反会社的として捉えると理解しやすい。
例えば言葉として、やる気のある社員や立場のある社員は社会性のある社員。やる気のない社員や立場のない社員が社会的でないと分類できる。

反社会的な精神構造の人間と社会的な精神構造の人間の間には温度差が生じることがわかると思う。こういった価値観の温度差は、人間関係に大きな溝として影響するということである。

下記は仲良くなれない要素の強い例である。

日本が好き⇔日本が嫌い
美しいものが好き⇔美しいものが嫌い
働くのが好き⇔働くのが嫌い
人生楽しい⇔人生楽しくない

例えば下記なども相性に影響する強い価値観である。

神を 信じる者⇔否定する者
社会的貢献する者⇔そんなの関係ねえ
進歩や成長したい者⇔別に思わない
エッチが好き⇔エッチが嫌い

※勿論現実の相性決定は相当複雑な科学だ。

分解する必要のないことだが、所詮動物。

とにかく持つベクトルが違えば温度差が高い。これが企業内の人間関係においては、まず思想の精神構造が神経的には、大人であるほど歳を取るほど、歳の功といいますように細かい分岐の集合体となっていくのが通常なので、年配の方や上司の立場の方ほど様々に成長されているのに対し、自分が優れていると過信してやまない若造が礼節に欠けていればもう上司とうまく付き合うが困難極まる。

まぁたとえどんなに合う合わないがある人間関係でも、認め合い支え合うのが健全な社会人のコミュニケーションのことである。思想や観念が強いことほど、反発するベクトルを持つ相手との相性に強く影響する。

しかしそれでも、認め合うことができるのが正しい大人のコミュニケーション。

解かっている人にはわかっていることとは、正しい大人とは健全な大人とは、たくさんのことを矛盾したことを肯定できる器のある人間のことである。

ゲーム的だが、社会生活を営む人間の性質をできるかぎり簡単に分類すると、善(ロウ)・(中立)ニュートラル・悪(カオス)という属性に別れる。実はこれが子供の精神構造の話。ちょっと難しいがこの分類の場合、自分の属性を善(ロウ)・(中立)ニュートラル・悪(カオス)のどれにも属することができるようにコントロールできるのが中立な立場に立てる人だ。それが社会的な人間のあるべき姿だった。

コミュニケーション問題を紐解いていくと、どうしても善なる人間性が損なわれている時代だという分析結果になるようだ。ちなみにオタクとかニートの持つ価値観とは、選択的かつ必然的に反社会的ベクトルを持ちやすくなる。それは社会が悪いと社会否定することに繋がる。めんどくさいが、社会が悪いと考えることが悪いのではなく、こういった人間の性質が「社会を良くしよう」と考えていないレベルになることで、様々な分野での社会の衰退が現実化する。

ちょっと難しくなってしまうが、正しい社会性が必要とされるのは、健全な社会性を持つ人間が持つ、正しい客観的視点を必要とするのが社会活動であるので、正しい客観的観測能力がなければ、活動の結果は社会破壊へと導かれる。因果応報とは、ご先祖さまもよく使ったもんだその通りである。

社会性とは健全さと同義的なのだ。求められる人材として必要とされる要素だ。それ相当の複雑さを飲み込める人間でなければ、とてもじゃないが国際社会の競争では生き残っていけない。それは世界の現実である。

主観を企業にうつしてみるならば、優れた企業戦士が減っていることも解かり易い。

つまり人としての基本・基礎ができていないと、客観的に見ているつもりの独善的利己主義者となってしまう可能性が高く、利己主義や個人主義という類は、まさに精神教育の欠落に起因する社会性の破壊であるわけだ。比較すれば如何に利己主義や個人主義を価値観の代表に選ぶ頭脳レベルが、短絡的回路であり脊髄反射的刷り込み価値観ぶりが理解に容易いことだろう。そしてそのような人間を我々の社会が量産していく。

ヒントになってしまうが、企業の持つ理念や価値観とうまくリンクしてゆき、価値観等をなるべく全てを飲みこんでバランスをコントロールするのが、求められる人材なのだ。面倒くさいけどこういうのが大人の基礎の話。企業の業務の性質にのっとって正しく分析できるなら、それに対して否定的要素の少ない人が採用されやすい。技術として偽装してしまうと人間性を図るのが難しくなってしまうもんだなぁと考えてみると、偽装できる人間も有用的である水準を乗り越えていることに気づく。

私の所属していた会社では、採用業務に際してはこういった性質を妥当なシステムを通して人間を数字化して捉えていく。もちろん予知や予測といったシステムの運用するは運用する人間の能力に委ねられるし主観も入るから雑になることが多い。そうして善なる性質の方で客観視に問題なければ、能力的な問題があるかないかを図り社員として受け入れる。あるいは新人として育てていく。

馬鹿な学生でも私のいうことが理解できると言うに違いない。そしてそんな完璧で良い感じの人材なんてなくて皆それぞれに一クセも二クセもあって、人間社会は十人十色に染まっている。それぞれの形でやる気をだせばとかと考えてしまう人ほど終始自己肯定に執着しており、そんなことはみんな解かっている。そのハードルを乗り越えるための話をするには、人間であり人間を分解している観点から教育を施すしかない。

ひどく疲れる作業である。教育問題に起因するコミュニケーション問題はそういう意味で、企業に人材教育を放棄させてしまった事実がたくさんある。

さて、核心の問題であるが、基本すらできない学生・大人達が増えてしまったのが、現代の不幸だ。礼儀や認識に欠ける低脳化が進み、仮に未熟人とか害虫と言っておくが、もちろん社会は完璧ではないから今も昔もそれは存在するのだが、害虫が増殖しやすいのは自然の摂理のように、低脳ぶりは無視できないほど悪化してる。

無視でいない低脳ぶりとは、もちろん犯罪の増加のことである。

それにしても、現在の未熟人の低脳ぶりは、勧善懲悪的短絡論理教育と仮に定義するが、思考を単純的すぎてまとまらず弊害を持つ輩が眼にあまるほど増加している。要するに社会を大事にしようとする意志のない、基礎が出来ていない人間が増殖し、人間嫌いが人間社会に増えているのだ。その不満は社会問題へも波及する。

中略
現代人の低脳化ぶりというのは、未熟人の低脳ぶりとは、細かい分岐の集合体や矛盾の集合体を理解する能力に欠けすぎているということなのだ。

低脳とは何か?低脳とは理解できないことが多いのだ。正確には「認識できないレベル」にいるということなのだ。何がいいたいかというと、未熟人は大人と同じ土俵に立つのが難しいのだ。協議することが難しくなっていることは様々の企業で事実化してる。世代別のコラボレーションが難しくなってきているのは、理解力の無さが原因であることを示す。

物事を狭義的に捉えて生きている未熟人ほど、平等と看板を掲げつつも、他者に「馬鹿」という烙印を押し付けることで自分の価値観を守る。つまり、比較的短絡的な思考回路になっているのが問題視されるべき未熟人。時に社害人等と呼ばれるのだ。それが冒頭の誹謗・中傷し合う輩の正体でもある。

人間の有り方なんて指定されるべき内容じゃないかもしれないが、人間社会の進歩は人間の優秀さが作り上げてきたものなのだ。それを破壊する社会だから退化を言わざるをえない。


コミュニケーション問題は人間関係そのものであり、ノリや気分と勢いだけで培ってしまう現代ッ子コミュニケーションは病的とすらなってくる。病的な部分を指摘して問題視する声は少ないが、男女間のコミュニケーションではわかりやすいほどナンパ的になっていて、擬似コミュニケーション化している。

だるい
うざい
めんどくさい

等のネガティブにより、精神的な交流は疎外されてしまった。
精神教育を排除してきた戦後洗脳教育の側面でもある。

結果として欠陥人間を量産して、晩婚や理解不足や信頼不足を量産して、混沌とした社会を作り出す。さて、肝心な信頼感よりも、今や一番モテル人というのは、楽しくしてくれる人。話してて楽しい人である。直感的に気づく人は気づくと思う。ノリとテンション、気分で決まる、思わせたもん勝ちの性的モラルの崩壊である。売春件数はウナギのぼりだ。

昭和の時代の硬派は消えてしまったのかもしれないし、硬派な人はただの奥手な人とされる。けして硬派を気取る人による愚痴とするつもりはない、言いたいわけではない。

嫌われてもいいという健全なコミュニケーションが排除され、同調と偽りが信頼を生むという認識に変わってきてる。要はコミュニケーション能力のない世代が、擬似コミュニケーションを正当化して社会を催してきてしまったのだ。

このことは自分と違う趣味、違う思想の友人を作りにくい世情でもある。痛いことだが、それは真実である。我が国では特に顕著だ。離婚の増加や、子作り件数は減らないが健全な家庭減っている社会問題はこういったことが病巣である。フリーセックスの時代は男性諸君には喜ぶべきことかもしれない。だが社会は壊れていく。

さて、コミュニケーション問題の根は深く、人間関係の軽薄さに拍車をかけて社会に根付いてる。軽薄になるほど、心のやり取りが減ってゆき、満足を得られない心の空虚感が社会に蔓延している。

私はそれを指して「見えない胃袋」と呼ぶことにしている。

心のやりとりができないのが現代的ノリコミュニケーションの基本だが、依存やら分裂やら、副産物的精神病が発生してそれを満たすためにコミュニケーションが継続される。けして見えない胃袋を満たすわけではないので人間関係の破綻に終わる関係が多い。女子高生に聞く突き合った彼氏の数などは、年々ネズミ算式成長を続けてる。

素直で正直なコミュニケーションがとれない輩が増えすぎて、個々に精神的病因を生み出す。この精神文化は犯罪率の増加に波及する。病気が生み出される、病気によってコミュニケーション能力を補完しようとするのが現代人のコミュニケーションとなる。以上が現代病といわれることの正体。そして敗戦に起因する・・・。

そういえば、政治の悪化に窮まって経済の悪化が加わった時に、精神病で誤魔化されてた教育の悪化が混ざって科学反応を起こすようで、異常な殺人事件や幼児虐待として、異常化が公共の事実化してるのは世相の通り。

思うところ、結局のところ政治要因による外交問題や教育問題は、清き善き人間が生産されなくなっていくとここまで社会破壊に繋がっている。今の政治家の子孫は五体満足に生きながらえるのだろうか。社会が暴動に走るほど壊れたら、狂気を止める要素すらマイノリティ。


例えばオタクやニートに分類される人たちは極めて反社会的性質が強く、陰湿で攻撃的であった場合、極めて差別者と成りえるしそもそも人間失格である。

まぁ、いったいぜんたい、正しい人間関係とか関りとは何だったか?私で言えば、家出した時に、下心があったのかもしれないが、朝の二時頃に先生が車で迎えにきてくれて、黙って話しを聞いてくれていたこととか、あるいは学生時代に部活を辞める時の、先輩に納得してもらえるまで叩かれたこととか。

めんどくさいけど、深い繋がり。
そういうものではなかったかな〜?


もし公共とか公平とかの精神や平等の精神を観念レベルで備えていないければただの犯罪予備軍だ。そういう観念の子たちが増えてくと、大人も自己防衛のために接しかたを変えなければいけなくなってくる。悲観的な内容になってしまったが、
これは事件なのだよ。

端的には政治要因から派生する教育問題と、そこから育まれた人間による社会破壊が行われてることには、成長しない人類の欠陥品世代が増えたことが原因にあり、教育問題は深刻である。人間の進化の側面で退化も進行していることは事実だ。


複雑な問題を解決できない社会になっているときは、動乱の前触れであることを予知として認知すべきだと思う。


我は問う
歴史を敬うか
先祖を敬うか
そもそも人間の存在を敬っているか

生よりも死を選ぶ時代なのだろうか?


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自我の所属は?という話である。

最近増えている鬱病やソウウツ病とか境界性人格障害という言葉のような、精神疾患とされる脳とか神経の病気になる人が増えている。

だが実は、こういった病気をする人に問題や障害があるのではなく、本当は社会に問題がある。特に戦後の低脳教育に起因する精神教育の欠如が強く、根本的な病巣はそこにある。

人間は複雑な生き物である。

何か物事を単純に善か悪と一方的に決め付けるのは子供の行いである。だけど戦後から徹底的に勧善懲悪的な単調理論教育が日本人を支配してしまった。理論構造の破綻した非理論教育が施されてきたのだ。敗戦国だからそれまで信じていた事を全て曲げられてしまった。

理論破綻した教育を施したゆえに、日本人はかつも持っていた能力、全ての物事を繋げて考えることができなくなってしまった。あらゆる学問の上で言われる、想像力の欠如とか思考力の欠如である。心の病気の病因の一つとなっている。なぜなら、思考回路の問題が脳や神経の病気に繋がっていくからである。神経に作用して関係しているからである。人間の脳神経は嘘が多いと回路が纏まらないのだ。これは真理のことである。


歴史的に見ればこういった現代は社会病であり、複雑な人間の精神を知りえない程度の低い教育が原因でおきた流行だと解釈できる。人間が複雑怪奇な生き物であることを隠そうとする教育が、真実を無視する現代社会が社会病を造っている。だが、これは未来からの評価となるのだろう。

我々の祖先は八百万の神々を信じていたように、ありとあらゆる存在の繋がり、社会国家の繋がりを感じることができ、そこに自身の人生を置き、時代と供に歩める真人間だったのである。文明開化以後の日本の姿だったはずだ。そして戦争当時の世界は、特にアジアはほぼ全域が植民地されており、そのために帝国は必然と軍国主義へ流れた。暴力や軍事力の前では、全てが無になるから、世界中の国々が未だに軍隊を持ち続けるのもあたりまえの話である。

そして今は、日本は敗戦国である。だから色々と問題を抱え、世界の真実や歴史の真実を知りえないように、人間の複雑さや有能さを発揮できないように徹底的なマインドコントロールを施されてきた。歴史上、欧米人に反抗した唯一の優秀な黄色人種として、遠い未来にやっと世界中で畏怖に似た感情を抱かれ尊敬されていくのかもしれない。アジアの国々から未だに尊敬されてる国ではあるが、特定アジア(中国韓国)に支配されていく中で、その事実すら知らない日本人が増えてるのは悲しい話だ。しかし今は、支配され搾取される側であるということを経済構造から知るべきだ。


日本人はかつてとても優秀な民族だったのである。考える頭に秀でていたからである。何でも取り込み、社会を発展させていった優秀さのある民族である。江戸の城下町は世界に類を見ない大都市だった。実は敗戦国だから頭脳の優秀さをまず取り上げられたというのが歴史の闇事情だ。精神構造や思考の過程において、この取り上げられた尊い真人間としての精神欠如が現代病の病巣となっている。

三国人による精神攻撃は未だに途絶えることがない。多くの人が「戦争=悪」とパプロフの犬になるよう押しつけられた教育や社説を強いられてきた。今の日本人のコミュニケーションと社会性は造られたものである。汚職が蔓延する世の中になってゆくとんでもない真実である。

だが、希望もある。
それは日本の政治家の後ろに、かつて数千年も行き続けた日本の心、日本の良心が控えているから希望もあるにはある。


我々人間は、

複雑な生き物である。

我々人間の脳は、多種多様な思考回路を育成し備えることが可能で、矛盾すら抱えこんで、喜怒哀楽すら偽ることができるのに、悲しいことに現代人の脳は単純化、知覚反応化され、思考力が低下している。

その原因の多くは、嘘を教えられているからなのだ。

現代っ子は多種多様な思考、多角視野をうまく整理することができないのだ。思考の領域は脳そのものの性能差がでてくるが・・・しかし思考の多様さが人格形成の障害となっているというのが、今の社会通説とされるいる病気等の実態である。

人格形成の障害?病気?治らない?バカヤローが。処理できない状態を指して障害という表現は可笑しい。脳は回路が狂わない限り脳そのものは正常である。実は病気とか障害なのは、人格の方に問題が出ている。個体・人間としての出力装置の方である。

実は、たくさんの知識、たくさんの考え方、勉強や様々な体験により脳が成長するにもかかわらず、これを動かすための回路である性質や人格と結びつつかなくなってくるという状態だ。社会が病んでいるから、場違いみたいに精神を引き出せないのかもしれないが、実は思考をまとめてるはずの人格が、知識や思考に圧倒されて混乱してる状態を指して、精神病と片付けるケースが多いのだ。そして精神疾患とされる病気の治療はとても困難とされ、荒治療や放置を余儀なくされる。

本当のところは、

脳神経の破損以外の心の病気は、病気とは言わないのが正しい。「病気を治す」というより、「一歩成長すれば治る」脳の話なのだ。長く書きたくないし一つの辞典になるほど情報量が必要なので後日にするとして、

簡単に言えば、思考回路(神経)の複雑さに、自我・エゴ(人格)が耐え切れなくなってるのだ。ただそれだけの話である。自我・エゴ(人格)の容量(許容量とか認知量)では、豊富すぎる情報に対応しきれなくなってる。そしてそういう患者に多いのが、我を失いがちになるという状態が多い。人格形成の過程に間違いがあった場合、脳は必死で整理して正常であろうとする。それが何かショックをうけるような出来事を通したりなどと、我の形成を壊したりする状態になる。

それが欝や人格障害や失調症である。よほど、偽りの人格形成がされていて、思考の主回路が損なわれるほどショックを受けたり、ぶっ飛ばない限り、実は単純なことで治すことができるのである。

それは、人格を再形成するように、一つづつ、少しづつ思考整理と価値観整理していけば、
もちろん人格変化に向かってるわけだけども、複雑になった脳の状態が又まとめられば正常に戻る。


何か心に傷をおって、病気になるという人と、異国へ旅して、人生観が変わったという人と、カルチャーショックなんかって実は大変似ている脳への衝撃なのである。
アマゾンの奥地で暮らしたり、戦争へ傭兵で出たり・・・・


全てが進化し、時間さえも流れてゆき、絶えず物事が変化していくのに、
人間は変わらないということはない。変わるということを否定するとこれが理解しにくいだろう。
精神疾患とは実は変化の兆しとして見るべきことなのだ。中には脳の回路や神経がぶっとんで治りにくいケースもあるにはある。

だが、理解してほしい。1から、幼少時の記憶から、少しづつ、回路の修正を行っていけば良いはずなのだ。失調症の類はまさに原点回帰を必要とする。


精神疾患とは縁の薄い人に共通するのは、例えば、人間形成の基本に「押し付けられてない神への信仰」や、「大和魂」を充てて仮に人格統括しまとめている家庭等では比較的健全な人間が育ちやすい。精神を患うことが極端に少ないのだ。それは視点がブレにくい正しさと、変化を認める寛容さを、信仰心によって代理して整理できるからだ。無宗教な現代人は、こういった我の支えが弱小で壊れやすいからすぐに生きている意味を失う。


人間の複雑さとは、

どんな善人でも残虐性を持っているという事実とか、

どんな清い人でもどこかで変態性を備えているとかで、

人間は元々全ての性質を持てるように創られている認識である。

犯罪者とそうでない人の心の差だって紙一重だというのは心理学ではありふれた言い方であるし、どんな人間でも真剣に望めばその性質を変えることが容易である。

何が精神疾患だ?

低程度の思考の領域から解釈する教育論が、人間の残虐さや悪を単純否定しすぎてしまい、そういう狭義的な教育に囚われてしまってるから、現代人が古代人よりも猿に近い動物に退化しそうになっているだけなのだ。

大人になれない大人が多い現代社会は、そのサンプルで満ち溢れている。


戦争は絶対にやってはいけないとか、

だけど世界中争いに満ち溢れている。

侵略は絶対だめだとか日本が悪かったとか、

だけど世界はひどく不公平なままである。

教える側の精神が酷く狭く幼すぎれば、

育つ人間が単純、低脳になってくるのもうなずける。

頭(あたま)が良いとされる左脳教育、刷り込み教育暗記教育が生んだのは、
低脳とされる、理論破綻する左脳思考者ばかりになってしまった。

左脳思考なんてのは脊髄反射のような暗記思考でしかない。
物事の繋がりや世の中の繋がり、
それらをまとめた上で正しさを判断するための思考力がないのが左翼だ。
現実を繋げられないのだ。
だから理論がまとまらない。
一貫性がない。
だから理論破綻する。
だから洗脳されていると言われるのである。
それはもう人間として成り立っていない。
もちろん正しいわけがない。


我々人間は善でも悪でもあり、
創造者でもあり、破壊者でもある。
愛されなければ、時には憎み、
満たされなければ、奪うことがある。

人間の脳の容量は、
様々な人格を備えもてるほど広く深いのである。たくさんの思考とたくさんの選択がまとまっていて、一つの人間として成り立っている。人間の脳には、見える全てが収められて保管されている。いつ、なにが引き出されるか解かったもんじゃない。一人の人間の脳には数十億通りの人格になれるほどの内容がつまっているのだ。

明治維新以後の日本は、伝統と文化を大切にしてきた流れから、精神が肉体を支配できていたのだ。かつての日本兵は魂で戦っていたと言われるほどに強靭な精神をもっていた。
今の日本人こそイエローモンキーにされているのである。

脳の覚醒だって、そういった何かが引き金となって活用してない部分でさえも活用するようになるのである。刺激しつづければ面白いほど人格が変化してゆく。
人間は動物である。生まれては死ぬる。変化は必然である。

観念から見直すが良い、
自我を見直すが良い、
我こそは、
生きることとは、

我らは大和の魂である。


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日本人はみんな痛い人。

何が痛いのか?

理解力のなさが痛いのだ。

地球規模でみる世界のカタチ。それは欧米主導で動いてる世界であって、
第二次世界大戦後も欧米先進国が優位に立ち、世界はその流れで時間を進めてきた。実にその影響から、痛い日本人がつくられるわけもあるのだ。

例えば欧米では哲学か宗教的思想が浸透していて、欧米人の人格の底には、哲学的なアイデンティティが確立されている。

そういった哲学的観念が人格形成の根っこにあって、
なぜ生きるのかとか、心を紐解いていくような話ではとくに、答えをもってることが多い。
もちろん例外もあるが。ここで指摘したいのが人間に関する理解度が段違いであること。


哲学の少ない東洋でこんなこと書いてもわかりづらいかもしれないけど。
簡単に説明すれば、哲学とは自分の存在意義をなんらかのカタチで答えとしてもっておくことである。または神の存在について考え続けたり、自分と向き合い自問自答を続けること。常に考え続けるという姿勢を持たす学ぶ姿勢とも言える。

我々のような無宗教人が多い現代日本と比較するとわかってもらいやすいので書く。
だいたいにおいて物事に対する判断基準が不明瞭だから、とくに比べて劣るのは日本人のアイデンティティの低さだ。
善や悪に対する意識も薄かったり低い。政治に対する関心が低いのもこのあたりに根本的な問題を抱えてるのだ。差別的な見方から考えると理解しやすいので痛い言葉を書くが、

日本人は知覚と記憶によって動くだけで思考が浅く、人間や神について説明できないまま善悪を語っても意識は低く、矛盾を抱えたまま解決できずにほったらかしにできるのが、それが日本社会。
そうだから、「イエーローモンキー」という観念を正しいと思って使う人がいるのだ。
客観的な我々痛い日本人に対する見方だ。

こういわれる原因が実は、
東洋人は欧米人ほど人間に対して認識と理解と研究が足りないというのが原因。
戦後失われた精神と共に、思考力も失っているのが現代社会だと思われる。

例えば:アメリカの離婚と日本の離婚において、
例えば:離婚の原因がセックスレスで、
例えば:貴方が旦那の立場で、
例えば:離婚したい理由が「三週間も妻がSEXさせてくれないのだぁー」という場合。

日本の場合は最終的に離婚することは可能ではあるが、
「特別な事情が認められないにもかかわらず、カップルの合意した性交あるいはセクシュアルコンタクトが1カ月以上なく、その後も長期にわたることが予想された場合」と定義されており、
実際問題、重大な理由として認められるのに苦労する。
大変ひどいのはほとんどの女性が男性本能を理解しようとすらしないところ。

一方、アメリカでは重大の理由として離婚が成立する例なのだ。
真剣な話、人間に対する理解が違うという事と、
正しい性の知識を持つことの重要性を東洋人の方が良く知らないということは、我々は女が男を、男が女を理解できてないという事実なのだ

多少の法律の違いを言いたいわけではない。アメリカでは離婚原因の8割が性への不満が理由なのだ。性生活は人生最大の問題であるという認識もある。それに対して我々の日本社会はそれを包み隠そうとして本質から話がそれてしまう。欧米の男性が野獣のようにSEXしたがりというわけではない。

問題の本質は「人間とは何か」に対する理解度にある。

性の問題は離婚の原因の一つにすぎないかもしれないが、性の均衡が破れると他の要素は一切無駄になってしまい、我々の離婚理由はそれが原因で起こる喧嘩や浮気で離婚となる場合がほとんど。つまるところこの違いや問題の原因は、特に我々はこの人間の本能に関する理解や人間の存在に対する理解が欠けていて本能否定してることなのだ。ここんとこの矛盾が社会問題の原因なのだ。


日本人は人間の本質とか本能について理解が足りないのだ。


近年特に都市部で例えば東京都では、結婚した夫婦の4組に1組が離婚するとか。30代の3人に1人は独身だとか。社会的問題にまで発展している。もちろん理解ある女性もいて、「愛とは処理するもの」と、男性に対する理解としてまぁ気持ちの良い人もいる。だが圧倒的少数であり、だから我々の世代が求めてやまない「やまとなでしこ」や最近の社会現象である「メイド」なんかは男社会が女性に「従順な女性像」求めてる意味で起きた現象だと説明できるではないか。まさに性への抑圧をした結果なのだ。


では正しい性知識というのは何か、
それは人間は理性ある動物であること。

性行為は人生の8割を占めるほど重大なこと。
性への満足が得られなければ円満な夫婦生活は難しいということ。
男の性欲は異常なほど強いもので本能であること。
抑えつけてよい本能ではなくて、場合によっては発狂してしまうこと。などだ。
なぜ日本人にそれが欠けてるのか?
それは恐ろしい戦後の洗脳教育と供に、心の元である精神の教育をして来なかったからだ。
心の基礎が欠けているということだ。それが心の病である社会問題の病巣でもある。


話を戻すが、
例えば飼っている雄犬の発情期に、目の前にミニスカート履かせた♀犬をちらつかせるだけ置いていたら、あれだけ可愛がってた♂犬ちゃんが、まさに悶え苦しみ死んでしまいそうになるではないか。

SEX嫌いな人からすれば反感もちそうな話だろうが、説明するのに数万字の文明を必要とするが、欧米人の社会や法律がまさにこういった哲学を元にして、そして我々人間が動物でもあることそして、理性と本能はどちらが勝るかを考え続けることを踏まえて法律が作られている。

それが真実なんだが、我々の社会はそれをほとんど受け入れていない。欧米人に羨望しても、欧米の精神を学べていないのだ。もちろん歴史を考え続ける人は理解できると思うが、我々は過去に欧米人より高度な精神文化をもっていたのだ。欧米列強に立ち向かう程の正義と勇気があったのだ。知らない人は正しい歴史の勉強からどうぞ。

自分たちの哲学をもてば、支配しにくい人間社会になるから、敗戦後に日本はイエーローモンキー教育を強いられてきた。戦争問題が絡み我々が敗戦国だから哲学を教えないのかもしれないのだ。我々は搾取対象なのだからな。


性問題に関しては特に、根本的な理解をしないまま表面で「差別」だ「偏見」だ等と現代の社会問題として男女が議論してるようじゃ、実に根本的な問題抜きに空回りな議論で無意味なことを続けてると言えるではないか。人間らしい人ほど、「痛い」という意味をあてるのではないかな。そして話にならなくなってくると、もう心のやりとりは面倒だと、社会はフリーSEX他恋愛に突入して平和な家庭が減っていく。


差別としての意はないが、
以上のことから「女性の地位向上や女性の社会進出は、根本的な教育問題を抜きに無知なままだから、女性自身の手によって理解ないまま傲慢な女性を増加させ独身や未婚と晩婚といった問題を引き起こしている」
というこれは一つの痛い話が出来上がってしまうではないか。


むかつくだろうけど、ここまで理解できれば、これが真実だということが理解できるのだ。
もちろん男性は男性で根本的な教育問題を抜きに無知なままだから、その無知による矛盾が起こす社会問題を抱えてる。「コミュニケーション問題」がある。例えが多すぎると困るので男性については他の御題で触れることにするのだ。
まぁ、そういった社会問題の背景さえ、我々は根本的な理由の解決ができない状態なのだ。

認めたくないだろうからな。


我々の社会がいかに人間生活を保てない「正しい性の知識」がないか、
いかに「人間を知らない」か、悲しいかな、離婚社会と少子化は加速していく一方ではないか。もう一方では恋愛とは何かを理解しようとしないまま、考える姿勢のないまま交尾に励むのだ。人間は何でも飽きるという真実に蓋をして、恋は三年、愛は永遠というようなことを学ぶ作業を必然的に怠っている。大概の人が愛を知らぬまま恋を繰り返して破綻に向かっていくわけだ。なぜ恋をするのか等と、心理よりも深いところの人間としての本質を学ぼうとしないからなのが原因なのだ。だから気持ちがさめたら、終わるのだ。

人間の内面を学ぶことなく、
気持ちと思っている気分で出会いを繰り返すのだ。
幸せでない女性は自分を見つめなおしてもらいたい。

もちろん「我々なりのアイデンティティを確立して」独自の文化を育てていけるのかもしれないが、社会問題の解決だけについて考えるなら、根本的に教育改革一つで解決できちゃう話だと思うのだ。しかし政治性も絡み、教育改革なんてなかなか進まないようだ。

社会がねじれていて間違ってることは真実であり、

将来問題が深刻になった時には我々はどうなっていることやらと心配するべきことだと思う。

今より将来も間違いなく悲しい中年を大量生産しているんだろうな。今のところ女のホームレスも増えている。

恐ろしいのは「性知識に対する不理解だけでもこれだけ問題あることだ」

国家の全体像を指して、「破綻国家日本」という本が出たことがあるし、おおよそで壊れているいうのは指摘は正しいといえるのだ。

それからなぜ日本では西洋哲学が広まらないか?
一番強い理由は我々には哲学のような文化が今ないからなのだ。
もちろん似たような文化はあったけど、
それが「神仏や文化」とか「先祖」など拠り所を必要とするもので、
昔はそういうところを元にしてアイデンティティを保っていたのだ。
そしてそれを敗戦後に失くしてきたのだ。
所詮「敗戦国文化」だと評する社会学者もいたと覚えている。
このことは人間社会がまだまだ未熟であるという真実を含んでる。

我々は根っこのない上辺だけの人間が多いようだ。

哲学の欠如でアイデンティティ問題を抱えてるという現実だ。
我々がいかに問題意識をもって考えてないかとか、現代社会の有様を見て問題の原因まで関連性を辿れるのではないかな。

歴史の本から、日韓併合前の時代に、ある朝鮮人がアメリカでアメリカ人に東洋の人間に対するイメージを質問した記録がある。

そこで「日本人について」聞いたら
「イエローモンキ」と言われて、
つぎに「朝鮮人について」聞いたら

「豚」と言われたらしい。
そこには日韓併合したがった朝鮮半島の民族感情が存在していたのだ。

残念だがその真実はアジア大陸の火種として歪められている。
たしかに黒人を奴隷扱いしてる頃の世界は、
野蛮人に人権があるという考え方すらない時代だった。
過去に人類は「思考の程度」や「思考の領域」で人間を差別していたのだ。


外人好きなのに結婚までいきつかない日本女性や、
日本が抱える政治的不振や矛盾した社会問題も、
ほとんど哲学の欠如したこういった場所に原因だといえる。
無論、社会悪(社会レベルでの哲学欠如)が起因するのだが。

けっして差別を助長したいから書いてるわけではない。
本当のことが言いたいだけで、
無知な敗戦国民に仕立てられたんだということを。
それもちょっとした知識が欠けてるせいでということが言いたいのだ。

全ての人間の差は、本能的には欲求の差、それと知識の差、考え方しだいでは人生の違いは紙一重でしかないのだ。これも真実だ。

哲学とは倫理の土台でもあるから、
倫理観の欠如といわれる社会的事件の背景もこれで説明つくじゃないか。
日本の現代社会なんて信心もなければ良心も弱くて、
社会問題を解決する目処もたてられないのが現実ではないか。


国民があまりにも理解に欠け過ぎると、
どんなに丈夫な良い政治家でもお手上げしそうな話で、
政治家の気持ちになって理解してあげるなら、
やっぱりお手上げにならないか?

我々の社会のゆく道は、
犯罪は増加し、
結婚できない人は増えるわで社会背景はなんだか、
破滅に向かっていってる感じなのかな。

「思考の浅い教育がまかりとおってること」と「様々な社会問題」は
「知識と教育一つで解決への導けるのに」
変わらない現実の中で苦しむ日本人は痛い人間なのだ。

日本独特の女の口説き方という類の本が多種存在するが、
その低レベルなマニュアル本に共通して用いられる手法は、
女の気持ちというのは気分のことを指すのであり、気分とくに会話とノリで操れるという、
感情論による感情操作的な口説きマニュアルで徹底している。

それと日本人が流されやすいという性質もふんだんに利用され、女性はそのままに交尾まで気分でやる。心理さえ熟知してればどうにでもできるモンキーレベルなのだ。

ご先祖様が聞いたら、癇癪起こしそうな話なのだ。
「相手は知らんが、男は責任を持つべきだろ」
そういわれてしまうと思うのだ。

女性は感情的に反感を持つだろうが、「知らないことを知らないままにしてないか?」それは理解を示してないということなのだ。逆に男心を理解して男を操る女性もいるのだ。


まぁ、長ったらしいが、
改訳するすら「貞操死守」という観念がくずれたまま、「西洋的な性的開放」してるから、不幸な家庭が増えるんだよという話でもあるし。
東洋人の性意識全体の方向性は、人格破綻と混沌社会に向かっているということもあるのだ。

知識のないまま表現してしまうと、「女がやらせないから社会が壊れるのだ」。
女性はこのように受け止めてしまうと、反発だけして、いつまでも知ることから逃げてしまうのだ。ジョークのつもりだが、深刻だな。

まぁ、日本人は支配されすぎる現実がねじれを生んで、
社会問題が発生しまくるのだ。

のだのだ(笑)


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20070917
本当に時間ないのに、ちょこちょことブログ校正を開始。
文章が右脳的すぎる。
表現と組み立ての転換。
思考のパズル。
少しづつ読みやすく修正。


Mixiとは何か?

Mixiとは良心を畜生に食わせる場所。

Mixiユーザーの多くは痛い人。

実はMixiの株価分析にも役に立つ記事だったりする。

Mixiとは何なのかをひもほどいてみよう。

Mixiとは無責任で不道徳なツールである。
知識と経験の豊富な人間から見れば只の出会い系サイトだ。

性犯罪者がMixiの実名プロフィールをみて強姦に至るという実例がある。
慶応義塾大学3年生の男性を逮捕・女子大生に暴行未遂
mixiを使う男の目的とニーズ・注:情報起業
★せっくすサークル★」も登場”MIXI(ミクシィ)、危険な「出会い系」化の兆し…レイプ未遂で曝された現実
【mixi】実際に会った感想を書こう2



次にMixiは存在悪なのであると言っておきたい。
それについてはセキュリティと責任感に問題がありすぎることを指摘したい。

大きな事件では、ケツ毛バーガー事件というのがあった。
http://nextxp.net/archives/2006/10/mixi2_mixi.html
ケツ毛バーガー事件というのは、
Mixiの歌い文句的な閉鎖的と売り込みに対して、
安全なコミュニティという事を信じていたユーザーが、
Mixiを利用したために、
一般人なのに性器露出写真と顔と名前と勤務先までを、
日本全国に知れ渡たす結果となり、事件になった。
ケツ毛バーガーというあだ名も痛すぎる。
陰毛とお尻の形から連想されたものだ。

Mixiは罰せられなかったそうだが、
Web上で正当な批判から妬みや中傷やらの影響により、
Mixiの株価まで暴落した。(元々が投機的人気だったが)
トドメを刺したのが普段は2ちゃんねるを批判する週刊誌である。
2ちゃんねるで使われる写真を濫用し、
罰金を覚悟し払ってでも売上部数が伸び利益が出た話題だ。
それだけ痛いMixiユーザーだった。

被害者は株主と無修正性器写真を流された女性である。
だがまともな謝罪や賠償は何も無い。
この無責任感はMixiを存在悪と成らしめる。


話が長くならないよう論点はMixiの不健全さに執着するが、
このMixiとこの運営会社とWeb出会い系のシステム、
気持ち悪いほど無責任すぎる。

Mixiの利用者にして聴きたくない話かもしれない。
確かに、
ただ使う分には良心的そうなコミュニティツールである。
無害に使うことは可能かもしれない。
私も良心的に利用している人を批判する気はないのだが。

しかし現実に、問題意識のないこの悪徳運営会社が、
欺瞞と不健全さを助長し蔓延させるこのコミュニティが、
無知と無警戒な人々に対して不幸を作り続けることが、
Mixiを存在悪と成らしめる。

念をおして書くが、
知らないことを指して、「無知」と指摘しても、
誰もピンとこないし、理解しにくいだろう。

だから長いけど、
少しづつ知恵をひもほどいてみる。


まず世間一般に問題となる社会悪を抱えている、
いわゆる出会い系サイトで起きる事件というのは、
あからさまな肉体関係や売春の出会い系サイトではなく、
Mixiのような健全を装うコミュニティで起きている。

それを知らない人が多い。
これが理解されにくい。

風俗産業的な出会い系サイトは、
そのほぼ全てがサクラかサクラになるシステムを用いてるので、
実は出会わないので事件になる確率が少ない。
実際の女性登録が無いに等しいからだ。
風俗業として運営している場合は接客となり、
通信業として運営している場合は刑罰が厳しい。
口外できない政党名や社名や組織名も無数に絡む。
年商が数兆円規模のビジネスでそれを口にすれば、
命の1個や10個、簡単に消し飛ぶので割愛する。

実に犯罪はMixiだからこそ起きている現実がある。



そもそもMixiは出会い系という位置づけにいるはずなのだが、
自尊心を守るためにMixi運営会社とMixi信者は度々警告者を攻撃してきた。
不節操と不道徳を隠すために「出会い系」であることを恥じて、
出会い系であることを認めなかった。
過去そして今もその事実を歪める限り、
Mixiの歪みは酷いものである。
注意すべきは、「この歪みが真実に反する体質であることである」




Mixiはなぜ不健全か?
まず、知人家族恋人がMixiを利用しているにも関らず、
自分もMixiを利用することがあるのに、
Mixiを批判する理由を説明する。

まず、道徳面での問題がある。
通常の人間関係は、
例えば元からの友人A友人Bと知り合う時に、
友人Aへの責任感とその友人との社会性を意識して、
友人Bとの交友も深まってゆくものである。
道徳観の近い人から関係を伸ばしていくのが正常だった。

また友人Aとの関係が深いほど、
友人Bとの関係も保障されるものである。
これが親が心配しない子供の交友関係でもある。
古来より人間関係とは、この関係の点と線が、
明確な繋がりによってなるべく安全保障があるもの。
それが常識だ。

ところが友人の友人と言えば我々は多少なりとも安心感を持つ。
友人への信頼が友人の友人への信頼になるとは限らないのだが、
我々は錯覚しやすい。

そして出会い系やMixiの場合、
システム上でこの点と線という信頼を無視した接点が造れるのだ。
現実の人間関係でも錯覚しやすいことである、
友人の友人との接点がMixiやインターネットの場合、
社会性のバックアップを軽視した状態で体面化する。
この場合に、道徳観と責任体制が軽薄になったまま、
本来出会うべきでない人間が対面することにより事故が起きやすくなる。
システム上出会い系なのである。
そこに人間の未熟さが錯覚を起こさせ、
最後には事件に至る。


解かり易くしたいので、身近な交友関係の例を一つ。
私の友人AとAの彼女Bのカップルを起点に説明する。

彼女B友人C(女)を通して知り合った友人D(女)。
その日カップルABを通して知り合ったEFG(男)と、
ABDEFGでオフ会として飲食いをする。

このABというカップルが下品な道徳性と縁の遠い人間である。
という友人は、それを理解している。大らかで交友関係も広い。

この日、DEFGはABが席を外す時にABの話題に興味を示す。
が「あの二人?やりまくってんじゃないのぉ?」
EFGが「あの女とやってみてーよ」と下品になる。
が少し席に戻っているにも関らず、
主語を抜いて、包むように下品な話を続ける。

Aが聞いてしまっても失礼な話を続けるのである。
脈略のない言葉は時として大人によみとられることがある。
DEFGは成長度合いの低い人間関係だ。
もし私がAの立場なら、
との社会的信用性を大事にしないほど、
DEFGを半殺しにしてしまうだろう。
に対する責任感を持つ必要がないならな。
ところが道徳観念の低い人間ほど、
人間関係を重視しない。
だからいくらでも自己主張に執着して無礼に慣れる。
こんな場面で我慢を強いられるのである。

そうして友人Cとの関係を重視するような人や、
責任感のある人ほどMixiでは馬鹿を見る。
関係を重視する人ほど半殺しを我慢することになる。
ただ、このような人間関係は現実的にも多々存在することではある。
しかし、ここで強調しておきたいが、
Mixiは人間関係のバックアップがない軽薄さを助長してる、
助長するシステムと無責任体制があるから、
Mixiの存在に、悪意ある気持ち悪さが窺えるはずだ。
Mixiの場合この軽いノリが圧倒的力関係の優位に立っている。


つまりこの低質なMixi空間に影響力を持つのが、
責任感のない軽薄さの力関係であり、
Webコミュニケーションはその力関係を背景に構築されているから、
人間関係も軽薄なものと化してしまうのだ。
軽薄な関係になりやすいのだ。
「恋人未満友達以上」といった表現のように、
あるいは昔の人の感覚のように、
出会い系で「知り合う」人間関係は「友達以下」であるのが正しい。
本来は、知り合い以下であると認識すべきだ。

実際に、Mixi上での出会いは不健全な結果が多い。
Webコミュニケーションの軽薄さだけを指摘しても、
Mixiの人間関係の危険性を説明できると思う。



本当は、Mixiや出会い系で誰かと巡り会いたいのは、
本当のところは、
人間愛と自己顕示欲を満たしてくれる存在に、
飢えているという本能的なものだ。
人は誰しもが価値のある出会いを求めている。
だけど、
それを軽薄な性質のコミュニケーションツールに求めても、
難しいし非現実的すぎる。
Webコミュニケーションは、
システム上擬似コミュニケーションの延長なので、
実際に欲求が満たされることは限りなく少ない。
だから出会い系やMixi等では、
友達の輪を広げても広げても満たされないものだ。
知り合い以下という観念をよく理解すべきだと思う。



実は、出会い系等では特に欲求が満たされることが少ない。
YahooやMsn等CHATを通して出会うのも同じで、
異性と出会いたいという場合では特に、
目的を達するために全てが手段化される。
だからCHATやビデオで何年語り合っていようが、
社会的関係を保障するものが何もないのだ。
それに現実的な人間関係のバックアップや、
社会的な繋がりのバックアップがないほど、
責任感を持つ根底がない。
諸外国では強姦と犯罪の温床と化していることも認識すべき現実である。

そもそも軽い気持ちで自己の情報を発信する行為こそ、
ナンパ待ちや売春に等しい、同義的行為であり、
日本人が出会い系に適応しやすいのは、
あからさまな性的表現に拒否反応を示す社会性に問題がある。
そこは本能への罠かもしれない。
(なぜなら心理分析上、自己正当化本能によって自分を欺くから。)


事実、Mixiで発生した出会いのほとんどが破綻するし、
まれに結婚し幸せになる人が出現するかわりに、
その数千倍ほどSEXのために擬似恋愛と性病と、
数多くの事件と事故を量産している。

統計と事実だけでこれがいわゆる大人から解釈すれば、
「Mixiとは頭の弱い人間が集う場所」という解釈を生むのだ。
そう思う人が少なくないのだ、これも重要な事実だ。
あまり書くと人の欲求を突いたナンパマニュアル化してしまうので、
割愛する。


そもそも恋愛願望をWebコミュニケーションに期待することが愚かしい。
まずWebコミュニケーションでは特に「否定的要素」が排除され、
同調が有利な性質として、それだけが良しとされていく。
多方面に言及しないが我々日本国民の特徴として、
同調することがコミュニケーションの基本なのである。
だから、
目的を達するために作られる人間関係は、
特に手段的な同調と欺瞞を拡張させてゆく。


Mixiの古参ユーザーは、
ほとんどが自己顕示欲の塊と化していく。
その自己中心的な自己顕示欲を磨いた人間ほど、
演出もうまくなっていく。
そうした力のバランスが空間と常識を支配していき、
愚かなサークル化していく。

レイプサークルに似ていくのである。人格者の存在場所を確立できない軽薄な人間が適応しやすい環境なのだ。

良心と出会えない仕組みである。
歪んだ同調と演出によって、Mixiは真剣のない場所となってる。
そこで好き嫌いが勘違い生産され、擬似恋愛を沢山生産する。
注目すべきは擬似恋愛の技術もない輩が性欲発散の犯罪行為に及ぶことであり、大きな社会問題はそれだ。
Mixiをやっているという人は、
「人格破綻者の海を泳いでます」というようなものである。

奥深い思考から分析をかけられれば、
「私は気分とノリでSEXします」と証言してるようなものでもある。
痛い表現だが、本当にそこまで見られてしまうのだ。


それから、
ほとんどの場合被害者になるまでMixiの存在悪を認識できない。
そして擬似恋愛や人間関係に絡まれた中で被害者になれば、
気づくことすら難しい。

実はMixiで繋がる相手との恋愛そのものは、
存在悪と欺瞞から種が産まれているだけなのだが、
出会い系である不純さを理解しない人ほど、
不純な関連性で人間関係が終わる。
しかし個人責任レベルではこういった選択責任の歪みを修復しにくい。




これだけ社会悪があり、不健全さがあるのだ。

重要な事柄である責任体制については後書する。
ここでもう一つ、Mixiの生産性の低さに着目してみよう。
このコミュニティビジネスは、無責任な拝金主義の産物だった。
Mixiの閉鎖的表現と安全は、
知識の無い人を騙す為の法律にはぎりぎり触れない嘘である。

その証拠に私はMixiのIDを三つもっているし、
友人に至ってはIDを複数個から数十個持っている人間が存在する。

Mixiは紹介制を謳ってるが誰でも入れる事実と、
入れるシステムを人為的に作り出している事実がある。

紹介制と閉鎖的である安全は事実に否定されている。
このカラクリも意図して作られているので、
だから、大嘘つきで悪すぎる会社なのである。

本当のところは、
出会い系サイトと定義されることを避けるため、
大嘘で誤魔化しSNSという定義を持ってきただけなのだ。


それと、金を得るために、
実名登録による情報交換と友人との交流サイトという位置づけを深める必要があったのだ。
だから当初から無責任に実名登録を強要し続けた。


昔Mixiの登録画面では、
「実名で登録されなければ削除されることがあります」
という表記があった。
これが様々な犯罪事件後にやっと、
「実名登録による不利益を蒙る可能性があります」
に直されている。
この業者は利益のためなら、
問題が明るみに出るまでどんな悪いことでもし続ける体制を持つ。
削除されたら始める意味がないから、
特に無知な人に対しては強制的実名登録制度だったとしか表現のしようがない。
それは法の網を抜けた強要行為に等しいことなのだ。

なぜ実名登録させるのか?
皆が実名でMixiをやらなければどうなるか?

完全な出会い系サイトとなってしまう。

実名でなければ実際に紹介されない限り知人を探せないと、
それでは醍醐味というか、Mixiを使うメリットがなくなる。
これは登録者数に影響するのだ。
だが事業者側の大切な理由は、
金にならないから実名登録させたのだ。


まず実名登録と紹介制という言い訳がなければ、
法律上も、社会通念上も、税法上も、
只の18禁の出会い系サイトと同義で扱われるのである。
もちろんMixiはちょっと誤魔化しの効いた出会い系サイトであるのが実質である。

今日に至っては、法律上も社会通念上でも、
Mixiは出会い系サイトである軽蔑視が強まった。

それでも不思議なことに出会い系を「いやらしい」思っていても、
Mixiを「いやらしい」と思わないユーザーがまだまだ多い。

欺瞞である。

それから誰でも入れる上にWorld Wide Webである。
発信するという観念に「閉鎖性を謳う行為」は非常に矛盾する。
これはセキュリティをもって安全である錯覚をさせることが欺瞞である。
付け加えて最悪なのが、この会社の責任もへったくれもないとこだわ。
この会社の規約は個人情報の売買とその流用まで認めさせているし、
事件被害者への救済と賠償はもちろんない。



未だに実名が何の問題になるか、
事件も知らないとかWebの怖さも知らない人が存在する。
それもMixiには多数存在するのである。

我々日本人が犯罪の存在を否定するほど平和的すぎるかもしれない。
しかし、事件や事故は全てユーザー責任とされるのだ。
だから本当のところは、
事件や事故を無知なユーザー責任に付け替えるこの企業の責任は大変に重い。罰せられるどころかMixiは今や利権構造の一角となっている。ひどい現実である。

それから犯罪被害者よりも、
擬似恋愛の終了という被害者の方がはるかに多い。
特に女性に多いのだ。


それから体面よく本能を隠す分、
特に警戒心のない人は犯罪に合いやすい。
未成年への犯罪やニュースに見る出会い系サイトの事件は、
実に多くがMixi発生なのである。



ちょっと、Mixiに実名登録するとはどういうことなのか?
インターネットや通信系技術に疎い人は、
理解するのに時間がかかることだからちょっと書く。

誰でも出入りできるMixiに実名と住所を書くことは、
こういうブログに住所を書いたり、
どこかの掲示板や2ちゃんねるに実名と住所を書くのと、
同じことなのだ。
Mixiが個人情報を危険な場所に書かせているのだ。
そしてその責任を持たない。
インターネットは、その構造上、
何か書いたりしたものは「発信する」という観念で行われ、
システム上、発信されているのである。
発信した情報をWebの中で外部から遮断し守るのはMixiの責任である。
署名人や政治関係や芸能人以外は、
実名を出さないのがWeb生活を覚えた人の常識である。



例えば、友人の多い19歳女の子が、
Mixi上で実名と住所を部屋番号まで書いたとしたら、
その友人の誰かと接触するだけで個人情報が漏れてしまうのだ。
女性を装い男性と友達登録するなら簡単すぎてしまう。
そういったストーカー事件も多数発生している。

触らぬ神に祟りなしとは、
関りを持たなければ害はないことを指す。
そしてユーザーの無知をMixiが助長させ、
触らぬどころか性的な暴力男を引き寄せる。
行方不明者も多数いるのである。
犯罪捜査をする刑事が人間の馬鹿さに嫌気がさす事実がそこにある。
このことも書きすぎては犯罪の助長になるので省略。


法律上では出会い系に該当するべきMixiである。
当時から警告を発していた学者は少なくない。
これが、本音を出すのが恥ずかしいからという理由で欲求を隠す分、
出会い系にいて、実際に出会った時の警戒心が緩んだまま、
欲求を満たすための暴力が後を絶たない。
あからさまな出会い系サイトよりはるかに事件が多い理由だ。


昔から18禁で制限され監視されるべきだった。
実名登録でなければ今日まで広告ビジネス化するほどの規模拡大も登録数拡大も不可能に近い商売だった。
ユーザーは狼に狩られるための羊なのである。
それを認識せずにMixiを使用してる人は、
間違いなく「痛い人」だったのである。
本当の御人好しを指して「痛い人」と言いたくないが、
あえて警告とさせて頂く。

そしてMixiは大嘘をつき、
法の目から逃れ、
責任を逃れるのである。
悪意に無警戒な人にこの事実を教えて諭すとき、
犯罪者を見るような目でこっちを見るのである。
悪いのはMixiなのにな!

Mixiは不道徳な出会い系ツールであることを隠す分悪徳すぎる。


最後に経済的な認識を理解しておくべきである。
Mixiは虚業である。
実業ではない。
広告ビジネスとしては、
仮に最大見込める広告効果を100億と仮定した時、
これを200億として売るのが広告ビジネスの本質である。
この差額100億は広告費用対効果として発注者が被るのだ。
広告業がダニ業者だと言われる理由がこれである。
そしてMixiにはさらに生産性の低さが伺える。
その証拠に広告としての効果が低すぎる。

それから悪徳商法と同義で語られるべきである。
試しにMixiで情報商材かマルチビジネスのセールスを発信しまくれば、比較的早い段階で管理に見つかり追い出されるか放置される。
ずさんな管理はもちろん、アフィリエイトからマルチビジネスや、
ねずみ講といった業者が多く蔓延っている。
なぜ追い出されないのか?
同業でグルだからだ。
金を払えば許されるのだ。
そしてナンパするためのID売りまであるのだから、
もうインチキ業者の天国である。


Mixiで成功したビジネスとは、
詐欺まがいのことばかりなのが事実である。

そのために無知なユーザーを囲い込むというスタンスをとったのが、
ミクシーの正体である。


既に明らかにされてきているから、
今さらこんなに書いていても先見的な信用はないだろうが。
私は数年前からMixiを嫌っていた。
Mixi登場当時から批判の声を聞き警戒していたからだ。

昔の2ちゃんねるには、
善も悪もドロドロした視点でみる、
冷静な事実が書かれることが多かった。
心の闇も含めて毒を吐く姿勢は、
気持ち悪くても本音であることが多かった。
本質を見ている姿勢に近いかもしれない。
ユーザーを騙そうと誰かを褒めても、
なぜ褒めるのか、なぜ必要があるのか、
骨の髄まで突っつかれる姿勢があった。
ある意味論破しきれない正論がそこにあったのだ。

工作書込みには難しいことだから書くが、
正論に到達できないWeb工作員と工作員的意見とは、
2ちゃんねるでは見抜かれることがある。

2ちゃんねる的な発言ではないポイントに、
「2ちゃんねる独特の毒がない」ことが含まれる。
それは心の闇から吐かれる毒だからだ。
本質に迫った正論でなければ対抗できないのだ。
ただ、管理人含めて買収される世論操作の可能性はある。

2ちゃんねるを贔屓するわけではないが、
本当に冷静な世論がそこに存在していたのだ。
株価・Mixi
時系列から調べれば、
事件が起きて株価が暴落する以前に、
多数の人間がMixiは信用ならんと予言した記録が過去にある。
2chの利用価値とはまさにそういうところにあった。

Mixiを良心ぶる人間と表現するとしたら、
2ちゃんねるは善と悪が混ざるドロドロした人間である。
情報源として2ちゃんねるは利用価値のあるものだった。
日本人が抱えるコミュニケーション問題もそうなんだが、
本来の人間関係とは本音から作る生産性があるものだ。
ここでMixiに話を戻す。


もう十分長いだろうけど、あとちょっと続く。

なんとなくMixiは生産性が低いことが伝わっていると思う。
使っていて楽しいことは沢山ある。
しかし、こうまでの出会い系としての乱雑さが、
信頼ある人間関係を築く以前の問題として、
本能的に拒否したり、
距離が縮まらなかったり、
微妙な人間関係の病因として、Mixiを病院化させる。


しっかりした人間なら大丈夫かもしれない。
しかしその人間すら完璧ではなく錯覚することがある。
その人間関係の波を何とも思わずに過ごせるのがあたりまえかもしれない。しかし正常な人ならMixiは連絡ツールで終わるのだ。
そもそも使う時間等ない。


Mixiが痛い人の集まりとして酷評される理由がここにある。
コミュニケーション問題を語らなくても十分理解であるだろう。

それでも現実問題、
心の闇を解消するためにMixiを必要とする人が大勢いる。
誰にでも傷はあるし、影はある。
寂しさを紛らわす人、恋愛願望を満たす人、
ナンパツールとして使う人、様々だ。
Mixiを健全に利用できない人は闇を抱えてるのである。
だが、犯罪の温床であれば敬遠すべきなのだ。
責任は利用者に委ねられてしまう。

Webは特に弱者が集まりやすい。
Mixiは特に危険すぎる。
特に出会い系サイトであることを否定して使ってはならない。
卑猥な出会い系サイトと同じ立場にいる自覚をもち、
警戒心を持ってる必要がある。
Mixi利用による妹とその友人繋がりは、
1/10の善人とその他大勢のロクデナシの集まりとなった。
警戒心と社交性の強い妹は問題ないだろうが、
弱者である羊が、
友人と通じて狼に出会ってしまう被害が、
たくさん有りすぎる。
それを個人責任と解釈するのは理解力がなさすぎることが。
全ての友人が善人であるのは妖精の国だけであり、
事実、傷ついた羊が人生の数年もの間立ち直ることが出来ず、
Mixi利用者はたくさんの不幸をつくっている。


仮に自分の子供がMixiで知り合った彼氏を連れてこようものなら、その彼氏を保障できる人間関係や社会性の証明を求めるのが親の正常な判断ではないか。
その子の親は誰?とか職場はどこなの?とか。
それが正常な人間の安全確認ではないか。
もしMixi上で知り合った誰かと出会う時は、
特に危険極まりないことであることを自覚しよう。
それは出会い系サイトでエッチなメールをして出会った人と、
なんの差もない。
寧ろ演出があるほど、危険な出会いと化す犯罪問題がそこにある。


私の経験で、恋愛に泣く女性を二桁は見てきた。
そして強姦される人も見てきたし、
強姦された人の話も聞いてきている。
中には輪姦された女性もいる。
YahooのコミュニティでもMSNでも多いことだ。
数ヶ月仲が良いとか、安心できそうとか、
実際に交際する人もいるが、
だが、いくら警戒しても、
社会的なバックアップは何もない人間関係は、
関係しているとは言えないのが真実である。

人間関係の繋がりが薄いというのは、
生命線がないというのに等しい。

社会的繋がりという生命線がない状態を友人と錯覚するなら、
行方不明になった時探しようがない。

無防備でいる女性や、
悪意に鈍感な平和主義女性は、
必ず性的道具扱いされる恋愛か、
強姦されたり、
乱暴な扱いという洗礼を受ける。

結婚しそびれた人ほど、
不幸すぱいらるにはまる現実がある。


正常な人間関係は
「繋がっていることよりも確かな繋がりを重視して伸ばすものである。」

最初の繋がりを確かなものにしてない限り、
身元不明なアカの他人を友人や繋がりであると思い込めば、
既にその時点で盲目的な羊と化す。

よほど人間性に信頼おける理由がない限り、
軽薄な関係であるのが本当なのだ。
それに気づかず鬱病になってしまう御人好しは多い。


Mixiに利用されるよりも、
Mixiを利用しつくしてる人も極少数だが存在する。
しかしそういう人の警戒心は半端ではない。
人格破綻者の海を泳ぐのだからあたりまえである。こういう人は高い確率で「ほとんどの人間は犯罪者と紙一重である」ような認識を持ち、
そこから友人をつくっていくのだ。
甘くない。
本人はもちろん社会的背景を重視して選択していく。
だが警戒心の薄い友人にまで気を配れないのが現実である。
良心的に真っ直ぐ育った人を、
犯罪者予備軍のような相手に引き合わせる効果がMixiにある。
そこで事故が増え続けていく。



友人の友人と友人の友人が知り合うきっかけ作りは、
田舎から出てきた心の綺麗な人にスケコマシを紹介するようなものである。
そりゃ騙される。
ましてや何も関連性のない人間とMixi上で友人になったつもりでいたら、その人間から関りを広げるのは危険すぎる。
こういった人間関係の軽薄さを理解しない限り、
Mixi利用は犯罪に合うためのくじ引きみたいなものだ。


Mixiは卑猥な出会い系サイトである。
それを否定している人は自分を騙している。

また文字コミュニケーションは本来の人間関係からすれば擬似コミュニケーションに過ぎず、文章と表現と性格は必ずしも一致しない。
ましてや異性間であれば、
全てが目的を達するために手段化されるのである。
だから友人の友人である異性と知り合うことは「ナンパ」
より悪質に始まっていることがある。
心の歪みの前では簡単に感情が否定され
社会性なバックアップがないほど、
死体になるか、行方不明になったっておかしくはない。

もう一つ、
様々な成長や経験から人間性にもギャップが生まれる。
中学生と大学生を引き合わせて平等さを演出しようとしても、
マナーを教えることから始めなければいけないようなギャップが発生してしまう。
環境が違えば精神年齢も違いすぎてしまう。

Mixiの人間関係の希薄さは警戒すれば済む問題であるが、
しかし、危険な出会い系サイトである事実を理解する人なら、
Mixiを使うことが気持ち悪くなるのだ。

昔は出会い系サイトではないとユーザーを騙していた。
今は、法律上でも社会通念上でも、
出会い系サイトとして位置づけられている。


つまり、
ナンパや直球的な交尾駆引きが苦手で防衛力のない人ほど、
出会い系やナンパを下劣であると馬鹿にしたであろう人が、
実は「悪質なあのエロいものやグロイ存在の出会い系サイト」
よりも悪質な罠に落ちているのだ。

体面だけ整えて交尾本能を誤魔化すことで実は、
弱者ほど悪質なナンパに騙され、
恋愛願望を傷つけられ、多くの引き篭もりをつくるのだ。
鬱病になっている人も多い。
Mixi信者は出会い系にいる痛い人と同義的存在なのだ。


もっと理解を深めるために知るべき表現がある。
経済的に見たMixiの正体が、
無知な弱者を囲い、
それを広告媒体として利用するビジネスツールであることだ。

収益は広告費とねずみ講、マルチビジネス、情報起業等の
悪徳業者の巣窟である。
理念も信念もない、
将来性も株価も信用できないのが正しい見解だ。
今でさえも株価は割高感がある。
自分で利益を作れない会社だからな。
株式公開後にマネーゲームに乗っているだけ。

なんの怨みもない。
だが無知を放置することはとても罪なことだ。
ましてやユーザーを利用するだけ搾取するだけして責任をとらないから。
それから情報操作もそうだ。
個人情報の売買もそうだ。


Mixiとは何か?
Mixiとは欺瞞と堕落の産物である。
Mixiとは不健全な人間関係の象徴となった。


また、出会い系で知り合った・・の事件が報道される。
触らぬ神に祟りなし。
数ある事件で言われていた出会い系サイトで事件という表現が、
実はMixiのことだったと知らないのだろうか?


もちろん、
心のある者同士なら何の問題もない。
だがそれは理想論でしかない。
責任体制と社会学的な認知がされない限り、
Mixiは犯罪と事件の出所でしかない。
悪徳マルチビジネスやねずみ講などと言った、
詐欺ではあるが、
法にはぎりぎり負けない商売の巣窟である。
そこに日記を書くこと自体、
悪党に生活を曝け出すようなものである。


ちなみに、
まともな業者は趣向別にSNS展開する。
出会い系とSNSの線引きは難しいが、
大人が良く性質分析をして、
目的と責任をもって導いていくのが正しいのだ。

このMixiの運営者だか、
その関連会社の広告社の社長だかが、
安倍総理をアポなしに訪問して、
門前払いさせられている。
Mixiの存在は元々知識人に軽蔑されている。



安倍総理や経団連は良く本質を理解してるのかもしれない。
いかがわしいビジネスなのである。
無知を逆手にとるな。

もちろん理解してる上で使うのは非難されることではない。
必要とする人が多い、闇の多い世の中になっているなぁ。

2チャンネルとは何か?

安倍政権批判にも絡んでみる。

2チャンネルとは何か?

TVチャンネルの一つである。

一つの巨大なメディアである。

特に2チャンネルを嫌う人が無視したい真実。

全てを疑い冷静に情報を見る事実がそこにある。

病的とも言える心の闇の集合体でもある。

汚物にまみれた匿名掲示板かもしれない。


しかし心の闇までさらけ出す匿名発言は、

人間の本質に迫っており、

心を開いた発言と見識は信頼できる世論だ。

管理人が権力と私欲に毒されるまで、

その信頼は続く。

だから今日までの高視聴率がある。

あまりにも高視聴率な故に、

掲示板なのにリアルタイムにコメントされる。

もちろん人が関心を持つ話題に対してである。

2チャンネルとは大きなメディアである。

メディアとして利用し利用されているのである。

2チャンネル好きでしょ?w



wがつく時点で2チャンネル文化と同一の文化に感化されてる。

愚かな質問である。

逝って良し。



NET世論工作会社が存在する今、

2チャンネルにすら工作員による書き込みが増え続けてる。

特に政治関係は金が動く。

次に企業関係が金を出す。

2チャンネルによる批判は、

新聞紙に批判を書き続ける程度の効果を持つ。

朝日新聞より信頼できる情報提供の場である。



好きとか嫌いの感情はこういう場合関係ない。

馬鹿は特に合理性が理解できないだろうな。

好き嫌いだけで人間が動くなら世の中滅茶苦茶。

それだけでもまた話がそれる。

好きも嫌いも変化しコントロールできる感情である。

こういう人間を相手にする時はキリストが頭を過る。

異教徒は虐殺しても罪ではない。

理解しようと働かない脳は、

死んでいると表現できるかもしれない。

異教徒は虐殺しても罪ではない。

面倒だから宗教を楽しむか。

愚か者は逝って良し。



昔の2ちゃんねるには、
善も悪もドロドロした視点でみる、
冷静な事実批判があった。
心の闇も含めて毒を吐く姿勢は、
気持ち悪くても本音であることが多かった。
本質を見ている姿勢に近いかもしれない。
ユーザーを騙そうと誰かを褒めても、
なぜ褒めるのか、なぜ必要があるのか、
骨の髄まで突っつかれる姿勢があった。
ある意味論破しきれない正論がそこにあったのだ。


今の安倍政権批判が酷い状態だから書くし、
工作メッセージには難しいことだから書く。
正論に到達できないWeb工作員と工作員的意見とは、
2ちゃんねるでは見抜かれることがある。

2ちゃんねる的な発言ではないポイントは、
「2ちゃんねる独特の毒がない」こと。
それは心の闇から吐かれる毒なのだ。
本質に迫った正論でなければ対抗できないのだ。
ただ、管理人含めて買収される世論操作の可能性はある。

特に左翼的発想が通用しないのは、
嘘と欺瞞が通用しない闇があるからだ。
だから闇が写す真実がたくさんあった。
それが2ちゃんねるに人気がある理由だ。
それが昔の2ちゃんねるだった。


工作員は不幸を作るという巨悪を抱えてる。
それに気づくほど人間的ではないしレベルも低い。


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